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 ・・・童虎が聖域を去り五老峰へと行ってから、私は教皇になって、聖域の切り盛りを始めた。ハッキリ言って理不尽この上ない仕打ちと思わざるを得なかったが、しかしもう文句の言い処すら無いので、仕方がない。私は殆どやけくそになって、がむしゃらに聖域の全ての面での整備を進め、元の活気を取り戻すことに必死になった。救いだったのは、私の周囲には私と童虎で育てた弟子たちがいてくれ、他にも少しずつ人材が集まってきたことだった。彼らは良く働き、私を支えてくれた。
 五老峰からは時々、声が届いた。小宇宙電話とでも言うのか、童虎は定期的に私に近況を報告してきた。まあ一応私は教皇なので、魔星を監視する聖闘士からの報告を受ける義務もある。だから童虎からの連絡は、一方的に切ったりせずにちゃんと受けてやっていた。
 連絡は、大抵深夜に近い時間に来る事が多かった。昼間は私は大変忙しいので、童虎が何を言ってもロクに相手をせず、生返事ばかりになるのを知ってのことだ。
 ・・・その日私は、一日中某大国の情報部と隠密のやりとりに追われ、大変疲弊していた。聖闘士は、世界各地の紛争や災害にあたって国家の要請を受けて派遣される事は少なくない。その交渉の場に立ち、受諾の判断をし実際に聖闘士を送り込むのが教皇の仕事の一つだ。
 私は自分で言うのも何だが、人を丸め込んだり脅したりするのは得意な方なので、少々の事なら苦にはならない。だが情報部がらみの仕事は気を遣い、そういう話が続くとさすがに疲れる。
 深夜になりようやく仕事も一段落したところで、私は皆を下がらせ、一人で教皇の間の玉座で溜息をついた。
 しんとした広間。薄暗いがらんとした空間で、床に敷かれた紅い絨毯ばかりが目につく。
 ・・・童虎が五老峰に籠もり、私がこの玉座に座してから、既に数年。聖戦から数えるともう10年以上の年月が過ぎ、当時ピチピチの18歳だった私たちも、既に三十路の声を聞いた。聖域の様相は、私の努力の甲斐あって随分昔の面影を取り戻し、日々活気を増している。童虎は五老峰で聖闘士の育成を続けており、口惜しいが彼の育てる聖闘士は優秀な戦士ばかりで、正直助けられていた。
 −−−そこまで考えて、私はふと気付いて自嘲した。・・・『童虎に助けられている』なぞと。昔だったら、死んでも浮かばなかったろう台詞だ。歳をとるというのはこういうことかと、また一人小さく笑う。
 ・・・その時、ふと感覚の隅に感じ慣れた小宇宙を感じた。こんな事を考えていたせいなのか、単なる偶然か。
 遙かな地、五老峰の童虎からの小宇宙電話である。
<−−−シオンよ。変わりはないか?>
 ・・・届く童虎の小宇宙は、最期に別れた時と変わりない。強靱で荒々しい癖に、幅広い感覚。
 私は玉座の背もたれに深くもたれて、薄く笑む。
「・・・童虎か。そちらこそどうだ、封印の塔は変わりは無いか」
<異常ない。静かなものじゃ>
 機嫌良く応対してくる童虎の声を感じながら目を閉じると、すぐ傍で童虎が話しているような錯覚に陥る。瞼の裏に浮かぶのは、何故か別れた時のものではなく、聖戦当時・・・18歳の頃の、まだ悪ガキの面影を色濃く残した顔だ。
 その顔に向かって、私は語りかける。
「それは重畳。・・・他は?」
<別段変わらぬ、五老峰はいつも同じじゃ。この大滝は、250年先もきっと変わらず落ちておるだろうよ>
 そう言って、笑う気配。それからふと、思い出したように童虎は言う。
<・・・塔は異常ないが、一つ頼みがあるんじゃが。今ここにおる弟子で、そろそろそちらに送れそうなのが一人おる。送ってよいか、シオン>
「承知した、いつでも寄越すがいい。星座の宿命を見極めた上、聖衣を授けよう。まだまだ主不在の聖衣がゴロゴロしているからな、よりどりみどりだぞ」
 答えながら、私は頭の隅にメモを取る。五老峰から新人一人、と。・・・そう言えば、聖衣保管庫の中で最近妙にわさわさしていた青銅聖衣があった。あれが恐らく、この新人のものになるのだろう。聖衣が主の到来を予感し目醒めたのだろうが、自己主張の激しい聖衣は手間が省けて助かる。
<・・・ところで聖衣と言えば、シオンよ。相変わらず、黄金聖衣の継承者は顕れんのか?>
 僅かに気遣わしげな、童虎の声。童虎は自分が十二宮を離れているから、聖域の守護を気にしている。見かけによらず、意外と心配性な男である。
「心配するな、童虎よ。確かに黄金聖闘士は顕れんが、それは仕方なかろう? そもそも女神がおられないのだし、・・・それに」
 思わず、くすりと笑みが漏れる。
「それに何しろ今は、とりあえず平和なのだから。黄金聖闘士が揃い、アテナが降臨すること・・・それは即ち聖戦が近いことを意味する。黄金が不在なのはそういう星の巡りだからだ、気にするな」
<ならば良い。・・・まあ万が一不測の事態が起こっても、お前がいれば心配なかろう。十二宮、と言うが、実際には教皇宮を含めて十三宮。しかも十三番目最後の宮が最悪の守護人ときては、心配するのも馬鹿馬鹿しいわ>
 そう言って笑う童虎に、私も笑む。
「・・・褒め言葉と思っておこうか。今日の私は機嫌がいいのだ」
<教皇様においてはご機嫌麗しゅう、というところか。お目出たいことじゃ>
 童虎の軽口に、思わず小さく声を上げて私は笑った。・・・側仕えの者が、今の私を見たらきっと驚くだろう。最近は色々あって、ハッタリきかせて偉ぶる態度がすっかり板に付いている私だから。
 私の笑い声が届いたのか、童虎の小宇宙は穏やかな波長で、私の元に届いてくる。
<・・・シオンよ>
「何だ?」
 呼びかけに問い返した私に、童虎は言う。・・・その表情までが見えるような、近くて深い声音で。
<・・・笑えるのは、何にせよ良いことじゃ。余り根を詰めるなよ。お前はキレると始末に負えんから>
「お前に言われたくはないわ。お前こそ、ぼーっと塔を眺めて滝に落ちるな」
<抜かせ>
 明るく短い苦笑と共に、童虎の小宇宙の色が少し変わる。・・・それは、そろそろ会話終了という合図である。
 童虎はかすかに一つ溜息をついたようだった。・・・そして、最後にまた笑う。
<では弟子の件、よろしく頼む。・・・繰り返すが、根を詰めすぎるな。ぶっ倒れても、もう引きずり起こしてはやれんのだからな。友よ>
 ・・・判っている、と応じると、それきり童虎の気配は途切れた。
 会話の間、閉じていた目を静かに開く。
 そこは先程と変わらぬ、しんとした薄暗い広間だ。あれ程近くに感じた親しい小宇宙も、まるで夢まぼろしだったかのように思える程の、冷たい薄闇ばかりが視界を覆う。
 −−−だが、そんな事はもう慣れた。大して気にもなりはしない。
 孤独でないと言えば嘘になるが、それでも私は、この薄闇の中が私の居場所と心得る。ここにこそ、私の果たすべき責務がある。
 私は一旦開いた目をもう一度閉じ、己の中を覗き込む。・・・そこには、何者も消し去ることの出来ない、確かな光があるのだ。
 聖戦が終わったあの日。冥界から生きて戻り、再び友と見た、地上の光。あの光が、今でも私の胸にある。
 この光在る限り、どんなに遠い道のりも暗い闇も、私は必ず越えてゆける。
 −−−私はこれまでの年月、幾度と無く密かに繰り返してきた言葉を、確かめるようにまた再び胸に刻む。

 ・・・我と、我が身の内にあるこの光、そして遙かな地の友にかけて。
 私は、私の負った闘いに、必ず勝利することを誓う。






            






 ・・・と。

 そんな誓いをしているうちは、何だかんだ言って私もまだ若かった。
 18歳の頃のようにはいかずとも、体力も気力も十分に満ちていたし、生きている間はとにかく踏ん張ろうというガッツがあった。
 しかし40を越え50を迎え。何やかやとしているうちに、どんどん時は過ぎ。

 −−−歳を経るうち私には、どうしても無視し得ぬ疑問が浮上してきたのであった。










<050328 UP>






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