59. 凡庸 












 ―――聖域に来て、初めて迎えた誕生日のこと。
 その日のことは、よく覚えている。






「・・・あれ、カミュ? 早いんだな、今朝は」
 その日、まだ幼かったカミュとミロは、十二宮の石段でばったりと出くわした。
 2月の寒い朝、まだ日が昇って間もない早朝だ。宝瓶宮と双魚宮を繋ぐ石段の途中、聖衣を身につけ段を昇るカミュと、何故か上方から下りてくる私服のミロ。小さな身には段差と歩幅が合わず、昇る足も下る足も、それぞれ歩調はたどたどしかった。特にミロの足取りは危なっかしかったが、本人はそれを気にする風もなく、寧ろ面白がっているのか、飛び跳ねるようにカミュの方へと駆け下りてくる。凍える朝でも、そんな元気の良さはいつもの通りだ。
「っはよー。どうしたんだ、朝っぱらから聖衣なんか着て?」
 足取りと同じくらい、元気の良い声が降ってくる。
 4つ下の天蠍宮にいる筈のミロが何で上から、と怪訝な思いで顔を上げたカミュは、ミロを見た瞬間、ぴきりと硬直した。
「・・・お前こそ・・・、どうしたんだ、それ」
「アフロディーテに貰った。手入れを手伝ったら、賃金だとか言って」
 そう言って満面の笑みを見せるミロの両腕には、溢れんばかりの白薔薇が抱えられていた。ギリシャのどんよりとした冬の朝にも、無数の白い花弁は清々しい眩しさだ。
 恐れ知らずで、あちこちの宮に物怖じもせず出入りしているミロだが、どうやら今朝は朝咲きの冬薔薇を見に、早朝から双魚宮に押しかけていたらしい。
 そういえば、夜明けの時分にミロの気配が宝瓶宮を通って行ったっけ、と今更のように思い出し、カミュは子供らしからぬ重々しい溜息を落とす。
「・・・時刻も構わずウロウロするの、大概にした方がいい。ただでさえ私達が他宮へ出入りするのを、神官たちはいい顔をしないし・・・そのうち咎められる」
「カンケー無いだろ。十二宮の中にはいるんだから、神官どもに文句言われる筋合いじゃない」
 あいつらは弱い癖に口ばかり五月蠅くて嫌いだ、とケロリとした顔で言うミロに、カミュは黙って溜息で返すにとどめた。出逢ってそろそろ一年、歯に衣着せぬミロの性格もいい加減よく判ってきていたし、実力主義のこの聖域にあって、そうした物言いはミロだけのことでも無かった。それにミロの言っている強さや弱さは、恐らく物理的なだけの事では無いだろう、とも思う。時折ミロは、理屈では無く直感のようなもので驚くほど物事の本質を見分ける。
「で? お前はどうしたんだ。朝っぱらから聖衣なんか着て、教皇に呼ばれたのか?」
 抱えた薔薇の花弁越しに、ミロの大きな碧眼が覗く。その青い瞳に向かって、カミュは肩にかかるほどの紅い髪を揺らし、かぶりを振った。
「違う。誕生日なんだ」
「・・・へ?」
「誕生日」
 繰り返した単語に、ミロはきょとんとしている。カミュはまた溜息をついて、説明を付け加えた。
「誕生日には、女神神殿を拝するのがしきたりだ。特に十二宮を護る私達は、誕生日と守護星座が関わっているから」
「・・・・・・」
「―――だから、女神神殿に上がる処なんだ」
 そこまで言い終わった後も、何故だかミロは、相変わらず薔薇を抱えて立ちつくしたままだ。らしからぬボンヤリしたその様子に、カミュは怪訝顔だ。
「・・・ミロ?」
「・・・あぁ・・・、ええと・・・」
 呼ばれてもまだぼっとしていたミロは、やがて酷く戸惑った顔で、所在なくきょろきょろと辺りに視線を泳がせる。  ・・・その頼りなげな様子は、むしろカミュの方を面食らわせた。
 出逢ってからこの方、ミロは良くも悪くも、どんな時でもはっきりとした振る舞いを見せてきた。それが何でこんな場面で、いきなり今までにないおかしな様子になるのか、理解に苦しむ。
「ミロ?どうしたんだ」
 思わずミロの目の前で手をひらひら振ってみる。いつもならそんな事をされたら、怒るか笑うかしそうなものなのに、ミロは相変わらず妙な戸惑い顔だ。
「・・・えぇーと・・・、・・・誕生日・・・って」
「?」
 ミロは暫くあーとかうーとかえーととかひとしきり唸った挙げ句、やがていきなり、その両手に抱えた薔薇を丸ごとカミュに押しつけてきた。
 またもや面食らったカミュは呆気にとられ、ミロと、ミロが強引に寄越し今や自分の腕の中で咲き誇る白薔薇の群れを見比べる。
「な・・・何なんだ、コレ」
「・・・誕生日、だから!」
 ―――必死の形相でひとこと喚いたかと思うと、ミロは直後に身体の向きぐるりとを変え、その場から駆け去った・・・というか、逃げ出した。一目散、という言葉はきっとこういう逃げっぷりを言うのだろう、とカミュがぼんやり思う程、それは見事な逃走だった。
 あっという間に遠ざかり、石段を更にどんどん降りていく小さな金色の点となったミロを、カミュは唖然と見送る。
 ・・・今までも散々、予測のつかない行動は見てきたけれども。
 しかし誕生日を祝ってくれるというなら、もう少し言いようもあるだろうに。平素はあっけらかんと明るいミロの様子とは、余りにもかけ離れた振る舞いには、呆れるしかない。あんな風にしどろもどろになっている様など、初めて見た。
「・・・で・・・。一体これを、どうしろと」
 朝風に揺れる薔薇の花弁を見下ろしながら、カミュはただ呟くしかなかった。






「―――という事があったのを、覚えているか」
 可笑しそうに笑んで言ったカミュに、ミロは渋い顔を見せる。
 宝瓶宮の、居間。ミロは他人の宮であることなどお構いなしに、我が物顔でごろごろしている。
 寝っ転がったソファの肘掛け越しに、ミロは不機嫌な視線を投げて寄越す。
「・・・しつこく覚えているなよ、そんな事」
「へどもどしているお前が、面白かった。忘れろと言われても忘れられない」
 そう言って笑ったカミュは、水を満たした花瓶をテーブルの上に置く。その傍らには、咲き誇る白薔薇の花束が無造作に放り出されていた。
 カミュはその一本を抜き取り、花弁を口元に寄せて、笑む。
「この薔薇・・・あの時と同じ種類だな。また双魚宮からくすねてきたのか」
「くすねてきたとか言うな。この俺が、わざわざ労働と引き替えに手に入れてきたんだぞ」
 少しは有り難がれ、とぶうぶう文句を垂れるミロは、まるきり子供のようだ。あの頃と大差ないその様子に、カミュはまた笑って、手にした花をすとんと花瓶の中に放り込む。
 ―――あの日から、今日で丁度、15年。同じ誕生日ではあるけれど、あれから大きな出来事が沢山あった。一度は死すら体験し、再びこの日を迎えている・・・それは今更ながら、酷く不思議なことに思われる。
 あの頃から変わったモノもあれば、変わらないモノもある。・・・例えばこの、目の前の蠍。
 朝一番にやって来たかと思ったら、手にした白薔薇の花束を、誕生日に、と手渡してきた。
 それはあの日とよく似ていたが、しかしその素振りは随分変わったものだと思う。
 カミュが聖域で初めて迎えた誕生日以来、ミロは自身の誕生日にもカミュの誕生日にも、さしたる興味を示さなかった。改まって『プレゼント』らしきものを手渡してきたのは実際の処、あの日以来のことだ。一体、どういう風の吹き回しかと思う。
「・・・誕生日なんてもの、お前はあまり重きを置かない質だと思っていた」
 花を次々に花瓶に放り込みながら、何気なく言ったカミュの言葉に、ミロがソファで顔を上げる。
 よっこいせと身体の位置を変え、肘掛けに乗り出した腕に自分の顎を置いて、笑む。
「少し、考えを変えた。生まれた日なんてどーでもいいと思っていたけど、やっぱり祝うべきだろうと」
「何故。一度死んだからか?」
「当たらずも遠からず」
 曖昧に答えて笑うミロに、カミュは不審げに首を傾げる。その所作に合わせて肩から流れ落ちる髪の動きを、青い瞳が面白そうに追う。
 ミロの手が不意に伸び、流れた紅を指先に捕らえたかと思うと、弄んでつんつんとそれを引く。
 無遠慮なその手に抗議しようと、発しかけたカミュの言葉は、ミロに遮られた。
「・・・あの時な」
「―――は?」
 碧眼を楽しげに細めて、ミロは笑う。
「あの時さ・・・お前に最初に、薔薇をやった時」
「ああ」
「それまで知らなかった事に、初めて気付いた。それで、吃驚した」
「・・・私の誕生日を?」
「違う。・・・誕生日の、祝い方を」
 そう言って、ミロは可笑しそうに咽の奥で笑う。
「そんなカンタンな事も、どうしていいのか判らなかった、馬鹿だろ。誕生日には何か贈るもんだって頭だけはあったから、手近に持ってたモンを押しつけたワケ」
「成程」
 それであの不審な態度か、と15年もの時を経て、カミュは合点がいく。きちんと聞き出した事は無かったが、どうやら聖域に来る前のミロは、ご多分に漏れず決して恵まれた環境には居なかったようだ。誕生日を祝ってくれる者も、他人の誕生日を祝う経験も、無かったのかも知れない。
「それまで知らないって事すら気付かなかった事に、急に気付いた時って滅茶苦茶吃驚するんだよな。お前が死んだ時も、そうだった」
「・・・吃驚したのか?」
「そう、吃驚した」
 くすくす、とまた咽の奥で笑って。
「まあそんなワケで、誕生日くらいは祝っておこうかと思ったワケだ」
「・・・全然判らないんだが」
「判れよ、このトーヘンボク」
 カミュの髪を指に絡めて、くく、と今度は押し殺したような忍び笑い。
「手前勝手な都合で、さっさと死んだ癖に。俺は、お前がいないって事とか、お前がそれまで当たり前みたいに俺の傍にいた事とか、そういう全部の事に物凄く、吃驚したんだよ」
 言ったミロの声には、相変わらず笑みが滲んでいる。だがそれでも言葉のひとつひとつに多くの心や記憶が、見え隠れするのが判る。
 ―――喪って、初めて気付くこと。
 生まれ出逢い、共に過ごし解りあえる、それが如何に幸運なことだったかということ。奇跡は遙か高みにではなく、いつも己の隣にあったのだということ。
 そんなことに、人はいつまでも、何度でも驚き続ける。
 そしてそんな自分へ、自嘲する。
「・・・この薔薇さあ」
 ソファから立ち上がったミロが、カミュの肩越しに手を伸ばして、テーブルの上の花を一輪、その手に取る。
「この薔薇の名前、お前知ってるか?」
「品種の名前か? 知るわけが無いだろう、アフロディーテでもあるまいし」
「パスカリ。パスカ(復活祭)の花だってさ」
 だから、相応しいだろ? と言って、ミロはまた笑う。
 一度は死し、再びまた動き出した、生命ある時間。それを祝うには相応しいだろう、と。
 ・・・キリスト教の祭り事が自分達に関係する訳がないだとか、ツッコミ始めたらキリも無いのだけれど、それでもこの花の名前に惹かれた蠍座の心持ちは、解る気がして。カミュは黙って笑んで花を活ける。
 ミロが指先で弄んでいた一輪も取り上げ、すとんと花瓶へ落とす。これが最後の一本、平素飾り気の無い部屋に、忽然と見事な薔薇の花束が咲き誇る。
 カミュの背中に寄りかかるようにして、肩先に顎を乗せてつくづくとミロはそれを嬉しげに眺めている。
「キレイだな。やっぱり白にして良かった。お前の髪とか眼に、映えるから」
 そんな事を独り言のように呟いて、ミロは一人で満足そうだ。その声を耳元で聞いたカミュも、淡く笑む。
 ―――凡庸に生きる事も凡庸に年を経ていく事も難しく、ささやかな祝い事ひとつ、ままならなかった自分達であったけれど。
 今はこうして、在り来たりに花など贈ったり贈られたりして、綺麗だなんて使い古されクタクタになっていそうな言葉で満足して。なんてこの上なく、凡庸な光景だろう。
 この凡庸さの中にこそ、奇跡がある。それを自分達は、既に知っている。知らずに茫然と立ち竦むような驚愕に、また再び捕らわれないように。
 傍らの者の気配と体温を確かめるように眼を閉じたら、耳元でまた声がする。
 やはり使い古されてクタクタで、でもだからこそ、その一言は得難く胸に落ちる。


 ―――“誕生日、おめでとう”。











Happy Birthday Camus.<120207 UP>



2012年カミュ誕。そんでもってサイト蘇生。ご無沙汰しておりました…またよろしくお願いします。
わがし誕生日おめでとう。
以前ミロ誕で書いた『81.誕生日』を下敷きにしているようないないような。目標は、(今度こそ)幸せな誕生日。でした。
幸せ…に見えるといいなと祈りつつ。
自分的には何年経ってもカミュとかミロとか好きだーと思える事が幸せです。
お粗末様でございましたm(_ _)m








モドル