猫道楽







 ・・・その日、マヤと呼ばれている白猫は、主にこう言い含められた。
「すまないが、勅命が下ったので数日留守にする。リアもここしばらく、教皇宮に仕事で詰めていて獅子宮にはおらぬ。腹が減ったら適当にどこかの宮に行くがよい」
 そう言って、マヤは主人であるシャカが自分の首に赤いリボンを巻くのに大人しく従った。普段マヤは首輪の類をしていないが、以前アイオリアが『マヤの世話を頼む』という伝言を付けて、赤いリボンをマヤの首に巻いて天蠍宮に送り込んでからというもの、「飼い主不在につき、見かけた十二宮の者は本猫(ほんにん)の求めに応じ、食事を提供するようにbyシャカ」という(多少脅迫めいた)合図として赤いリボンは使われている。ミロやアフロディーテを筆頭とする動物好きの何人かは、この合図を見ると喜んでマヤに食べ物を提供したし、そうでない面々も、飼い主が留守の間に万が一猫が餓死などしたら、きっとタダでは済まないだろうという予測から、皆神妙に食事を差し出していた。
 マヤの首にしっかりリボンを結んだシャカは、その細い指で軽く猫の頭をひとつ撫で、立ち上がった。そしてふらりと散歩にでも出るような様子で(とは言え、聖衣をフル装備まとっているので散歩には見えないが)処女宮を出ていった。
 マヤはその後ろ姿を見送ると、とりあえずそのまま主不在の宮の中で、日だまりを見つけて昼寝を決め込んだ。




<第一日目>

 −−−夕刻。十二宮のある岩山が、大層綺麗な夕映えに染め上げられる時間帯に、カミュはふらりと自宮の入り口まで出てきた。暇をもてあまし、散歩を兼ねて友人のところにでも顔を出そうかと思ったのである。
 ・・・が、正面の石段にさしかかったところで、カミュはぴたりとその歩みを止めて硬直した。石段の途中でちんまりと座り込んで、こちらをじいっと見上げている小さな白い獣と目が合ったのである。
 マヤのことは友人であるミロがとても好いていて、そのせいか天蠍宮に頻繁に姿を現すのは知っていた。それに、美しいものを好むアフロディーテもマヤをとても可愛がっており、それをあてこんで双魚宮へ通り抜けていく猫の姿もまたよく見かけた。・・・だが、こんな風に宝瓶宮の入り口で人待ち顔に佇む姿を見たのは、初めてだった。
 カミュは動物は嫌いではないが、特別好いてもいない。どう扱ってよいのか、よく判らないのだ。
 マヤとバッチリ目が合って、そのまま数秒固まったカミュは、マヤの首に赤い布が巻かれているのに気づいて、溜め息を落とした。
「・・・シャカが留守なのか。それで何故、私のところに来るんだ? ここに来る途中には天蠍宮があるだろう」
 見下ろして言うカミュを、マヤは澄ました顔で見返している。・・・このまま素知らぬ振りをして無視してしまおうかと、カミュはちらりと考える。・・・が、それが飼い主に知れた時のことを考えると、激しく危険な行為に思われた。「この赤い布が目に入らぬとは、そのような節穴の目なら見えなくてもよかろう」などとほざいて天舞宝輪の餌食になりそうな気さえする。
 カミュはまたひとつ溜め息を落とすと、猫に向かって言った。
「・・・悪いが、我が宮にはお前が食べられるようなものは置いていない。ミロのところならば何某かはあるだろうし、丁度天蠍宮へ行こうと思っていたところだ。・・・来るか?」
 猫は、にゃあと即答するとひらりとカミュの肩まで一飛びで乗ってくる。いきなりのことで、慣れていないカミュは内心狼狽えたが、マヤ自身は平気な顔でカミュの肩でバランスをとって丸くなっている。白くて柔らかい毛皮が頬に触れるのが、思いの外気持ちよく、カミュは友人がよくマヤの身体を羽交い締めにしては、気持ちいいといって抱きしめているのを思い出す。
 知らず笑みを漏らしながら、カミュはそのまま、石段を降り始めた。




「・・・何だよそれ?」
 天蠍宮につくと、そこの主は怪訝な顔で友人を見た。・・・というよりは、友人の肩に乗った白い毛玉を、と言ったほうが良いかもしれない。
「さっきここを通り抜けた時は、声をかけても振り向きもしないでさっさと行ってしまった癖に。カミュを連れてきて何だと言うんだ、お前」
 カミュの肩にいる猫に向かって、ミロは不満げに言う。その表情は真剣そのもの、本気で獣に苦情を申し立てているようだった。
 マヤは、カミュの肩からミロに向かって一声鳴く。「私の勝手」とでも言うようなやや挑戦的な声音だ。それに対してミロはまた文句をつける。
「シャカが留守なのだろう。カミュのところに行ったって、ロクなものなどないだろうが。食い物なら俺のところにあるのに、お前は一体何がしたいんだ」
 また、にゃあと一声。尚も何か言い募ろうとするミロに向かって、耐えかねたカミュが溜め息をついて口を挟んだ。
「・・・それくらいにしてくれ。獣に向かって何を真面目に言っているんだ、お前は。間に挟まった私の身になれ」
 そう言ったカミュに、ミロはまた不満げに抗議する。
「獣に、と言うけどな、こいつは言葉が判るんだぞ。俺のとこに食い物があることも、お前んとこにはロクなもんが無いってことも知ってる上、一旦俺を無視した癖に、お前を引っ張り出して結局ここに来ている。何の嫌味だ一体」
「だから、ただの気まぐれだろう。そういうものをマトモに受け取ってどうするんだと言っているのだ」
「それはそうだが・・・」
 ぶすりとした顔でミロは黙り込む。ミロが何をそんなにムキになっているのかと言えば、『仲の良い友達に無視された』と言って拗ねる子供と同じような心境らしかった。だがさすがに馬鹿馬鹿しいと思ったのか、ミロは一つため息をつくと、マヤに向かって言った。
「・・・腹が減ってるんだろ。何か食うか」
 マヤは嬉しそうに声を上げると、カミュの肩から飛び降りてミロの足下にすり寄ってくる。よしよしと嬉しそうにその頭を撫でて、ミロは笑ってマヤを抱き上げた。




 天蠍宮に常備してある猫缶をペロリと平らげたマヤは、そのまま居間に置いてあるソファで居眠りを始める。天蠍宮には普段から頻繁に出入りしているので、この辺りは勝手知ったるものだ。
 元々カミュが宝瓶宮を出てきた時点で夕暮れ時だったので、マヤが居眠りを始めた頃にはすっかり日も暮れていた。結局カミュは、ミロが夕飯を作るのを手伝って相伴に預かった。
 簡単な食事の後、どうという事もない雑談に興じて、そして夜も更けた頃にカミュは天蠍宮を辞するために立ち上がった。
「もう時刻も遅いな。私は戻ろう」
「・・・何だよ、帰るのか」
 そう言って、ミロは残念そうな、やや恨みがましい目で、立ち上がった友人を見上げた。・・・と、ずっとソファの隅で丸くなっていたマヤが、やおら起き出してカミュの足下に駆け寄ってくる。両の足の周りをぐるぐると八の字状にまとわりついて、どこかに行くなら一緒に行くと目で訴えている。
 その様子を、二人とも呆気にとられて眺めた。
「・・・・・・何なのだ今日は・・・。私はお前に好かれる覚えはないぞ、本当に」
 足下の白猫に向かって思わず言ったカミュの言葉に、猫は素知らぬ風で相変わらずぐるぐる八の字状態である。
 ミロは、また怪訝な顔でマヤとカミュを見比べる。
「・・・カミュ、お前、魚の匂いでもさせてるんじゃないのか」
「そんな訳があるか!少なくとも、ここ数日で魚だの猫の好きそうなものに触れた覚えはない」
 珍しく慌てた様子の友人の顔に、思わずミロは笑ってしまう。どんな強大な敵の前でも涼しい顔をしている癖に、こんな小さな白猫一匹で表情を変えているのが無性に可笑しい。
 ミロはソファの肘掛けに頬杖をついて笑いながら、困惑顔の友人を見上げて言う。
「こいつ、今日はお前を世話係と決めたんだろ。お前の言うように獣の気まぐれだろうから、付き合ってやれよ」
「しかし・・・私の宮に連れて行ったところで、何も無いのは変わらないからな・・・」
 その言葉にミロは、だったら、と答えて、不意に悪戯好きの子供のような表情で笑む。
「だったら、ここにいろよ。明日の朝飯くらい、マヤの分もお前の分も出してやるから。・・・それとも肩に猫乗っけて帰って、明日の朝またここに飯食わせに連れてくるか? 俺は別に構わないけどな。行ったり来たりすんのはお前だし?」
 そう言って尚も笑うミロに、カミュは、やれやれとひとつ溜め息をつく。本当は、ミロが猫缶を幾つかカミュに譲ればそれで済む話なのだが、それを判っていてミロが面白がってカミュを引き留めているのは明らかだった。
 カミュの足下で、マヤはちょこんと座り込んで二人の様子を見守っている。立ち上がったはいいがいつまでも動かないカミュを不思議そうに見上げており、カミュはそれに目をやって、もう一度溜め息。
「・・・確かに、行ったり来たりは面倒だが。・・・しかし何やら、いい口実を作られた気がするな」
「気のせいだ。いいじゃないか、最近俺が宝瓶宮に行ってばかりだったし。たまにはここに泊まってけ」
 ミロが座ったまま手を伸ばし、立った友人の長い髪の一房をつかまえる。
 その手を取って、カミュは薄く笑み、金髪越しの額に唇を落とした。
「・・・では、そうしようか」
 カミュのその答えに、ミロは満足げに笑って、カミュの唇の感触を楽しむように目を閉じた。
 ・・・所在なげにちんまり座って待っていたマヤは、どうやらカミュがここから動かないらしいと判ると、やれやれと言った顔で一つのんびり欠伸をする。そして再びソファに飛び乗って、丸くなって居眠りを始めたのだった。




<第二日目・朝>

 ・・・翌朝。
 日が昇り暫くした頃、腹が減ったらしいマヤは、まずは宮の主であるミロに朝食を要求した。しかし寝こけているミロは、マヤが鳴こうが前足で顔を叩こうが体に飛び乗ろうが起きようとせず、結局傍らで眠っていてその騒ぎに叩き起こされたカミュが、勝手に猫缶を探し出して開けてやる羽目になった。
 嬉しそうに食事を平らげる猫の様子を、カミュはすぐ傍でなんとなく見守った。弟子を育てたことはあっても動物を飼ったことはないので、仕草や動作が意外と目新しくて面白い。ミロやアフロが可愛い可愛いとしきりと言うのも、多少は判る気がした。
 食事を終えた猫は、空の猫缶を前に一息ついて目の前のカミュを見上げた。そして、礼を言うように一声にゃあと鳴く。その声にカミュは一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに表情を和らげて、猫の白い毛皮に手を伸ばした。
 自分からマヤに触れたのは初めてだったが、マヤは大人しくじっとしている。そっとその頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めて、ごろごろと喉を鳴らした。
 その様子がそこはかとなく、寝こけている友人の日頃の仕草を思い起こさせて、また笑みが漏れる。
 マヤは暫く大人しく撫でられていたが、やがてひらりと身体を翻すと、そのままふらりと天蠍宮を出ていった。
 ・・・どうやら『世話係』はお役ご免らしい。ホッとする反面、少なからず残念な心持ちのカミュは、猫の気儘な後ろ姿を、黙って見送った。




<第二日目・昼>

 ・・・昼近くになって起きるのが、巨蟹宮の主・蟹座デスマスクの日課だった。夜は巨蟹宮に浮かぶ死に顔などを酒の肴に夜更かしして、明け方に眠るのがいつもの生活である。
 その日も、太陽が中空にさしかかる程に高くなった頃、ようやくデスマスクは起き出した。いい天気だったので少しは外の空気でも、と思って欠伸など漏らしながら、ぶらぶらと巨蟹宮の入り口まで出てくる。
 そこでポケットから煙草を取り出して、石柱にもたれて一服。紫煙をはき出して、あー生き返る、なぞと呟いて、何とはなしに周囲を見渡した。
 草一本生えない荒涼とした山地。色の褪せた風景の中、ただ空の青だけが、染みいるように鮮やかだ。まったくいつ見てもシケたところだと思うが、しかしこれはこれで、今となってはデスマスクは結構気に入っていた。静かだし、いい加減気心の知れたメンバーばかりなので、気も遣わないで済む。・・・もっとも聖戦が終わってからこっち、何故だか静かな筈の聖域で、どうでもいいような下らない(平和な、とも言う)騒ぎが耐えないような気もするが。
 さて今日は一体何をするかと、デスマスクは考える。実は結構マメな男で、掃除洗濯料理などは一通りこなす。だがここのところ暇に飽かせて大抵の雑事は済ませてしまい、やることがなくなってしまった。食事作りも、自分一人の為に凝ったものを作ろうとも思えない。
 仕方がないので、デスマスクはそのままふらりと石段を降り始める。すぐ下の双児宮には、教皇となったサガから双子座の聖衣を受け継いだカノンがいる。カノンは、13年という年月を聖域から離れポセイドン神殿で好き勝手やっていたせいか、聖闘士にしては割と融通が利いて話がわかる。隣の気安さもあって、デスマスクは最近カノンとはよく酒を酌み交わしたりする間柄である。暇つぶしに何となく双児宮へと降りていくのは、そう珍しいことではなかった。
 煙草をくわえたままぶらぶら石段を降りていくと、丁度巨蟹宮と双児宮の中間辺りで、石段のど真ん中で長々と寝そべっている小さな白い獣を発見した。一目でシャカの飼っている猫だと気づき、更にその首に巻かれた赤いリボンが目に飛び込んできて、デスマスクは顔をしかめた。デスマスクにとっては、小動物などそこらに落ちている小石と大差ないくらいの存在感しかない。だが、ささいな不注意で壊れてしまうという点では明らかに小石の類より苦手だった。しかもどうでもいい動物ならともかく、飼い主があの自らを神もどきと自称する聖域きっての変人(とデスマスクは思っている)ともなれば、尚更だ。猫の癖に妙に小賢しいところも不気味だし、出来るだけ関わり合いたくない。
 頼むからこっちを見るなよ、と心中で祈りつつ、寝そべる猫を大きく避けてそろそろと石段を降りる。そして無事通り過ぎ、少なからずホッとした瞬間。・・・にゃーんと言う声とともに、白い毛玉がちょろりとやって来てデスマスクの足下に絡みついた。
 うげ、と声に出して思わず立ち止まる。嫌な予感は大体当たる、という自らのジンクスを再確認しつつ、じっと見上げてくる獣の青い瞳をにらみ返した。
 だがここで言葉をかけたら、それこそ決定的に付きまとわれそうなの気がする。飼い主のオソロシサがちらりと頭を掠めたが、しかしここで無視したところでバレやしまいとたかをくくって、そのまま歩き出す。・・・だがマヤは、やはりデスマスクの足下をうろつき回って離れない。
 デスマスクは小さく舌打ちしながら、それでも獣を無視し続けつつ、石段を降り続けた。




「・・・何だそれ?」
 丁度、双児宮の裏手、つまり巨蟹宮側の石段でのんびり日向ぼっこでもしていたらしいカノンは、足下に白い毛玉をまとわりつかせたデスマスクの姿を一目見るなり笑い出した。
「どうした。動物は苦手じゃなかったのか?宗旨替えか」
「・・・んなワケねーだろ」
 不機嫌に言ったデスマスクは、忌々しげに獣を見下ろす。
「勝手にくっついて来たんだよ・・・シャカの猫だが、奴が留守らしい。腹でも減ってんじゃねえか」
「そうか。何か猫が食えるようなものがあったかな・・・」
 そう言って、カノンは楽しそうに猫の方に手を出して構おうとする。そして、ちょっと待てと言っていそいそと双児宮の中に入り、戻ってきた時にはその手に、ウィスキーの瓶とグラスを二つ、それに鶏肉のささみを一切れ持っていた。
「これなら食えるだろ。俺たちにはこっち」
 そう言いながら、マヤの前にささみを丸ごと置いて、グラスには琥珀の液体を満たして、一つをデスマスクに渡す。・・・昼日中から、日向ぼっこしつつ猫を傍らに酒盛り。・・・猫を除けば、この二人にはよくある光景だ。
 ぺろりとささみを平らげたマヤは満足そうな顔で、石段に座ったカノンの膝に乗ってくる。それを嬉しそうにカノンは抱き上げて、笑う。
「俺は結構動物は好きなんだ。海底でも、魚の群を見るのは好きだった。それにこの猫は綺麗だ」
「そうかよ」
 興味なさそうに言って、デスマスクはちびちびとウィスキーを舐める。そんなデスマスクの様子には構わず、カノンは猫の顎を撫でて楽しそうだ。
「可愛いじゃないか。シャカの猫と言ったか? あいつが小動物を愛でる心根があるとは意外だ」
「・・・お前がニヤけて猫を抱っこしてる図ってのも、意外っちゃ意外だと思うがな・・・」
 そう言って、デスマスクは呆れた視線でカノンの嬉しそうな顔を見やる。・・・強大な力を持つ兄・サガと遜色ない実力を備え、海底神殿で海皇ポセイドンすら操って、一時は世界を水没させようとした男。ミロのスカーレット・ニードルを聖衣無しの生身にまともに14発まで食らった身体で、平気で冥界中を走り回り、冥闘士どもを文字通り蹴散らした男。その男が、小さな白猫をその腕に抱いて、幸せそうに笑っている。・・・ラダマンティスあたりが見たら卒倒しそうだと、デスマスクは溜め息をつく。サガとはまた違った意味で、二重人格かと疑いたくなる光景である。
 カノンは片手で時折グラスを傾け、もう片方の手で膝の上のマヤの顎を撫で続けながら、残念そうに呟く。
「いいなあ、俺も何か飼いたいが・・・」
「飼えばいいだろ、勝手に」
 投げやりなデスマスクに、カノンは口惜しそうに言う。
「サガの奴が駄目だと言うのだ!あいつは動物は嫌いではないが、馬鹿みたいに潔癖性だから家の中に獣が徘徊してると落ち着かないとか抜かす。神経質め・・・」
「お前な・・・。ここってお前の宮になったんじゃねえのか。それに三十路も目前の男が、お兄ちゃんが駄目だって言うからってのはねえだろ・・・」
「サガは教皇宮が気にくわないらしくて、暇さえあれば未だにここに帰ってくるのだ!あいつが居ない間に勝手をすると、無茶苦茶怒るんだぞ!部屋が汚いとか洗濯をためるなとか買い物の仕方がなってないとか、うるさくてかなわない。・・・でも逆らうと異次元に飛ばされる。横暴だ」
 まるきり子供のような言いように、デスマスクは益々呆れる。確かに時々、双児宮でサガとカノンがやりあっている小宇宙が巨蟹宮まで響いてくることはあった。だが、まさか現・教皇と元・海底神殿実力者の兄弟が、部屋の掃除や金の使い方でケンカしているとは思いもしなかった。もう少し崇高な理由かと思い、だから敢えて黙って聞かずにいたのに。
 ・・・聖域って、昔からこんなとこだったっけ?そんな埒もないことをぼんやり思いつつ、デスマスクは、はあ、と深い溜め息をついて新しい煙草に火をつけ、言った。
「・・・お前も異次元技、あったじゃねえか。返り討ちにしてやりゃいいのに」
「あいつは性格が悪いから、不意打ちでくる上に容赦しやしない!たった一人の弟を一体なんだと思っているのだ!」
「・・・要するに、お前もサガにはかなわないワケな・・・」
「そんなことはない!このカノンが本気を出せば、あんな愚兄なぞ・・・」
「・・・愚兄、と言うのはもしかして私のことか、カノン」
 突如として割り込んできた低い声音に、がばりと顔を上げたカノンとデスマスク。その目の前には、漆黒の教皇服をまとったサガが、不穏な小宇宙をまとって据わった目つきで見下ろしていた。
「ささささサガ!?こんな時間になんでこんなとこに!?!?」
 日中は大抵、サガは教皇宮で執務に追われている筈だった。そのサガが忽然と現れ、カノンは思わず硬直して膝の上の猫を落としてしまう。マヤは不満げに小さく鳴いて地面に着地し、事態を理解しているのかそそくさと双児宮の柱の影に隠れた。
 そんな動物の動きには目もくれず、サガはじいっと双子の弟を見下ろしている。
「−−−今日はロドリオ村に視察でな、今戻ったところだ。・・・私がそのように勤勉に働いている間、お前はのんきに昼間っから酒盛りか!この愚弟!
「なんだと!?視察なんて善良な村人にその偽善者笑いを披露してくるだけだろうが、それで働いた気になるなよ、エセ教皇!それに俺は、お前に言われた仕事はちゃんとやった!掃除も洗濯もゴミ捨ても! 文句を言われる筋合いはない!」
「今、中を通って見て来たが、あれで掃除をしたとは笑止千万!部屋の隅の埃の塊が、その節穴の目には映らないと見える」
 −−−双児宮を背景に、渦巻く小宇宙を背負って対峙する最強の双子。諍いの原因は・・・部屋の隅の埃。
 双児宮の中からは、双子座の聖衣が何やらわさわさした気配をさせているのを、デスマスクは感じ取る。戦闘の気配に主を護ろうという気があるらしいが、しかし一体どっちの身を覆えばいいのか判らない、という雰囲気だ。
 つきあってられねえ、と呟いて、デスマスクは巻き込まれないうちにさっさと双児宮を後にしようと踵を返す。くるりと背を向けた瞬間、どこからともなく白い猫が肩に飛び乗って来たが、今や双子は両者とも両手を交差させて必殺技を繰り出さんとしており、獣など構ってはいられない。猫を肩に乗せたまま、デスマスクは這々の体で、先程下って来たばかりの石段を、また再び駆け上がる。
 獣を乗せていたので全速力とはいかなかったが、かなり急いで昇った。だから、遠い背後でよく似た二つの声が同時に「ギャラクシアン・エクスプロージョン!!」と叫んだのを聞いた時には、その余波に少し身体を揺らされる程度で済んだのだった。




「あ。帰ってきた」
 自宮に戻ってみると、その入り口付近を見慣れた淡く輝く髪が揺れているのが見えた。声よりも先に、甘い薔薇の香りが流れてくる。
「どこに行っていたのだ?猫なんか肩に乗せて」
 そう言って、アフロディーテは面白そうに、艶やかに笑う。
「動物は苦手だと言っていた癖に、どうしたのだ、珍しい」
「うるせえよ。こいつが勝手に」
 言いながら、デスマスクはうっとおしい肩の重さを片手で無造作に払うが、それを見越したように猫は一瞬早く飛び降りていた。
「・・・勝手につきまとってるだけだ」
「そうなのか?赤いリボンということは、シャカが留守だな・・・」
 アフロディーテはしゃがむと、その白くて細い指で猫の頭を撫でて、笑む。
「デスマスクなんかのところにいても、ロクなことはないぞ?どういう風の吹き回しなのだ、マヤ」
「『なんか』ってなんだよ、『なんか』って・・・」
 ぼそりと呟いたデスマスクの言葉は綺麗に無視された。アフロディーテは腕に猫を抱き上げて、獣の目を覗き込む。
「・・・どうやら腹は減っていないようだな。どこかで何か、貰ったのか?」
「さっき双児宮で、カノンがささみをやったばっかだ。・・・おい、お前そのまま入るな!」
 猫を抱いたまま、勝手知った風に巨蟹宮に入ろうとするアフロディーテの背中に慌てて声を投げつける。アフロディーテは、きょとんとした顔で振り向いた。
「・・・何故だ?」
「何故もくそもあるか。俺のねぐらに獣を入れんな」
「いいではないか。保証するが、マヤにノミはいない!」
「んなこた聞いてねえ!」
 噛みつくように言い返したデスマスクの顔を、アフロディーテはしばし眺めやったが、やがて形のよい唇の端を上げて、にやりと笑う。
「・・・怖いのだろう、壊してしまいそうで」
「・・・あぁ?」
 眉根を寄せて睨み付けてくるデスマスクには頓着せずに、アフロディーテは笑う。
「心配しなくても、マヤは賢い。多少のことなら己の身の守り方は心得ている」
「・・・んなこた聞いてねえって言ってるだろが」
「そうか?」
 まるで歌うように、アフロディーテは言う。
「もう巨蟹宮の死に顔、どんなものにせよ増やしたくはないのだろ。それがたとえ、獣であっても」
 その言葉に、デスマスクは無言でアフロディーテに思いっきり蹴りを入れるが、アフロディーテは腕にマヤを抱いたまま、笑って軽やかに避ける。デスマスクが足を振り切った勢いが空気を裂いて、近くの岩を見事に砕いた。
「怒るな怒るな。図星だろう」
「うるせえ!飼い主が始末に悪い野郎だから、関わりたくねえだけだっつうの」
「ならばそういう事にしておく。シャカが怖いので、マヤも怖いと」
 デスマスクはもう一度蹴りを入れるが、やはり今度もあっさりよけられ、石段の隅を破壊しただけだった。崩れた石段の脇にある大きな岩の上に身軽に退避したアフロディーテは、また軽く笑って、ふわりとデスマスクの目の前に降り立つ。その腕には、まだ猫が抱かれたままだ。
「怒るなと言うのに。相変わらず短気だな、君は」
「てめえが怒らせといて言える立場か!」
「立場だとも。だって私だもの」
 婉然と笑んで、アフロディーテは自分より背の高いデスマスクに、少しだけ背伸びして軽くキスをお見舞いする。目を見開いて一瞬硬直したデスマスクに、アフロディーテはまた楽しそうに笑ってすぐに離れ、かろがろとした足取りで、マヤを抱いたまま巨蟹宮の中へと姿を消した。
 ・・・後に残されたデスマスクは、しばらくぼんやりその後ろ姿を見送っていたが、やがてがりがりと銀の髪をかきむしり、盛大なため息を落とす。
 そして忌々しげに思いきり舌打ちをすると、のろのろと、自分も自宮の中へと姿を消したのであった。




<第三日目>

 巨蟹宮で、寝こけている主ではなくアフロディーテにチーズや肉(つまりデスマスクの酒の肴)を少し分けてもらい、マヤはそれを朝食にした。そのまま巨蟹宮を出て石段を降り始める。
 昨日訪れたすぐ下の双児宮では、裏口は瓦礫でイッパイになっており(昨日の兄弟喧嘩の結果だ)それを越えるのに少し手間取ったが、すぐに双児宮に入り込み、少し中をうろつく。だが、カノンはまだ眠っているのかその気配はなく、やがて諦めたマヤはまた石段を降り始めた。
 金牛宮で可愛いモノ好きのアルデバランの膝を借りて昼寝をした後、白羊宮で貴鬼と出くわしたマヤは、散々貴鬼にじゃれついて遊んだ。
 そして日が傾きかけた頃、珍しい人物が白羊宮を訪れた。
「・・・おや、お珍しい。拙宅に何か」
 出てきたムウの口調はかなり嫌味な色合いが強い。明らかに「何しに来たんだ」と言わんばかりの目つきで、ムウはその紫水晶の瞳を目の前の獅子座に向けた。
 元々何かと折り合いが悪い牡羊座の、険のある声にアイオリアは思いきり渋い顔をしつつ、言う。
「・・・邪魔してすまん。シャカが戻ったか知らんか」
 その言葉に、ムウはやれやれと呆れる。アイオリアは今週は教皇補佐の当番だった筈だ。恐らく今日の夕方に晴れてお役御免となり教皇宮から降りて来たはいいが、親しい隣人の姿が処女宮に無く、それでここまで降りて来たのだろう。・・・それこそ飼い主のいなくなった犬ではあるまいし、20歳も越えた男がそうも付きまとわなくても、とムウは思う。
 腕を組んで石柱にもたれ、ムウは気のない素振りで言った。
「三日前、勅で出かけて行くのは見送りましたが、それ以来姿は見ていませんよ。戻ってはいません」
「・・・そうか・・・」
 ひどくガッカリした様子の獅子座は肩を落とす。・・・だがふとアイオリアは顔を上げ、重ねて言った。
「三日前なら、そろそろ戻るかも知れん。済まないがムウよ、少しばかり場処を貸しては貰えんか」
「・・・・・・はあ?」
 言葉の意味を測りかね、ムウは眉をひそめて聞き返す。アイオリアは慌てたように手を振って言い繕おうとしどろもどろに言葉を紡ぐ。
「い、いや、軒先で良いのだ、宮の入り口あたりで・・・お前の邪魔はせん」
 ムウは、心底呆れて目の前の男を冷ややかな視線で見やる。
「・・・いい加減になさいよ。飼い犬よろしく帰りを待つつもりですか。しかも、私の護るこの宮で」
「・・・仕方なかろう、ここが入り口なのだから」
 問題はそこではないでしょう、とツッこむ言葉を飲み込んで、ムウは深々と溜め息をつく。
「・・・第一の宮を護っているのは好きこのんでの事ではない、というのはご理解頂きたいものですが。・・・勝手になさいよ、でも折角入り口に陣取るなら、万一賊でも来たなら撃退くらいはして下さるんでしょうね」
 溜め息混じりのムウの言葉に、アイオリアは素直に嬉しそうな顔を見せる。任せておけ、と胸を張って、そのまま踵を返して白羊宮の入り口の方へと向かった。
 その後ろ姿を見送って、ムウはもう一度盛大に溜め息をついた。




 白羊宮の入り口に向かうアイオリアは、前方に小さな影が床にうずくまっているのを認めた。それは白い獣の後ろ姿で、じっと白羊宮の入り口から十二宮の外を眺めている。
 近づいて、アイオリアは声をかける。
「・・・ここにいたのか、マヤ。姿が見えないと思ったら」
 石畳にうずくまった白猫が、声に反応してアイオリアを見上げてくる。その顔はなんともつまらなそうな表情で、アイオリアは思わず苦笑する。
「お前もシャカを待っているのか。俺も混ぜてくれ」
 そう言うと、よっこいせとマヤの隣に腰を下ろし、アイオリアも前方、十二宮へと上がってくる岩山の道を眺めやる。
 ・・・夕暮れの聖域。西の空に鮮やかな紅を残し、天空は徐々に紫紺に覆われ始めている。白金色の大きな月が少しずつ輝きを増して、十二宮への暗い道を照らしていた。
 少し肌寒い風が、麓から吹き上がってきて、僅かにアイオリアの金茶の髪を揺らして白羊宮を通り抜けていく。
 はあ、と一つ溜息をついて、アイオリアは傍らの小さな獣を見下ろした。そしてその首に回った紅い布を不器用な指先で取ってやりながら、言った。
「・・・腹は減っておらんのか?飯は食っていたのか」
 アイオリアの問いに、マヤは顔を上げ、大丈夫、というように短く鳴いた。アイオリアはその真っ青な瞳を見やり、苦笑ともつかぬ顔で小さく笑って、マヤの頭を軽く撫でた。
「・・・お前の目の色は、あいつによく似ているな・・・一週間もサガの手伝いをさせられて、やっとお役御免であいつの顔を拝めると思ったら、肝心のあいつがおらん。うまくいかんものだ」
 そう言って苦笑するアイオリアの顔を、マヤはしばし見上げた。そしておもむろに立ち上がり、座り込んだアイオリアの膝にのぼってくる。・・・普段マヤは獅子座のことを、大事な主人を自分と取り合うライバルと思っている節があって、こんな風に自分から寄ってくるのは珍しい。
 アイオリアは笑って、膝の上で丸くなった獣を無骨な手で撫でた。




 ・・・そうして何時間、そこで待っただろう。辺りはすっかり暗くなり、東の空にあった月は中空にかかって、眩しいほどの光を放っている。澄んだ夜気が辺りを支配し、聖域は月夜の静寂に沈んで物音一つしない。
 −−−やがて、十二宮へと続く道の向こうから、さく、さく、という規則正しいかすかな足音が、ゆっくりと近づいて来る。
 アイオリアの膝で眠っていたマヤが、ぴくりと耳をそばだて顔を上げ、アイオリアの膝からするりと抜け出して、一目散に道を駆け下りる。
 月の光に淡く輝く黄金の聖衣が道の向こうから現れて、駆け寄ってきた獣に気付いて足を止める。そして屈んで獣を腕に抱き上げ、そのまままたゆっくりとした足取りで、白羊宮へと近づいた。
 宮の石段を上がったところで、シャカは静かに立ち止まり、そこにいる人影を見下ろした。
 ・・・石柱にもたれかかって、すっかり眠り込んでいる獅子座の寝顔に、シャカは一人かすかに笑みを漏らす。今日まで教皇補佐の仕事をしていた筈の獅子座が、こんな夜中に何故白羊宮の入り口で居眠りしているのか大変謎だが、大体察しはつく。
 アイオリアの傍らに膝をつき腕に抱いた猫を一旦下ろすと、シャカは聖衣のマスクを取って床に置く。そして例によって閉じていた瞼をついと開いて、真っ青な瞳で目の前の獅子座の安らかな眠り顔を眺めやった。
 ・・・こうして眠っていると、意外なほど幼い頃の面影が残っているなと、シャカは思う。まるきり子供のような屈託のない表情だが、しかし幼い日から思えば、自分もアイオリアもそして周囲の状況も、随分変わった。
 −−−だがそれでも、決して変わらぬものもある。多分自分は、それをこの獅子座に教えられたとシャカは思っている。
 兄を亡くし、様々な闘いを越えて尚、アイオリアの中にある誠実さや率直さは常に変わらずそこにあった。どんな悲しみも苦しみも、決して翳らすことのできない強さが、ここにある。
 ・・・シャカは何とは無しに手を伸ばし、眠るアイオリアの金茶の髪に触れてみる。するとそれは夜気を孕んですっかり冷えきっている。
 いつからここにいたのかとさすがに呆れて、シャカはアイオリアに呼びかけた。
「リア、起きたまえ。いくら君でも体調を崩そう」
「ん・・・」
 声に反応して身じろきし、アイオリアはようやく目を開けた。そして寝ぼけマナコでぼんやりと目前のシャカの顔を見やり、開いている青い瞳を見つけ・・・そして唐突に表情を改めて、満面の笑顔。
「・・・シャカ!帰ったのか、待っていたのだ!」
「見れば判る・・・て、リア!」
 シャカの姿に嬉しそうに声をあげて笑って、アイオリアは目の前の聖衣をまとったままの細い躰をがばりと抱き締める。
「ああ、待っていた甲斐があったぞ!目が覚めて真っ先にお前の青い目が拝めるとは思わなかった!」
「・・・。それがそんなに喜ぶような事かね・・・」
 アイオリアの腕の中に閉じこめられて、呆れて言ったシャカの言葉に、アイオリアは猛然と言い返す。
「喜ぶ事だとも!!一週間も教皇宮に缶詰にされて、毎日サガの小言を聞いて神官どもにこき使われていたんだぞ。お前の顔が見たくて仕方なかった」
「・・・堪え性の無い・・・」
 はあ、と小さく溜め息をシャカは、それでもアイオリアの腕で大人しくしている。そんなシャカの素振りにアイオリアは大変嬉しそうに笑ったが、不意に表情を変えて切迫した声を上げた。
「・・・こら、マヤ!!俺の背中に爪をたてるな!!」
 イテテとアイオリアは飛び上がり、思わずシャカの躰を離してしまう。自由になったシャカがアイオリアの背中を覗き込んで見ると、そこでは白い猫が獅子の背中でばりばりと盛大に爪を研いでいた。
「さっきまで俺の膝で眠っていた癖に!何だと言うのだ!お前は!」
 追い払われ、素早くシャカの影に隠れたマヤは、獅子の抗議にも素知らぬ顔だ。この猫は一体俺の事をなんだと思っているのだと、痛そうに背中をさすりながらブツブツぼやくアイオリアに、シャカは珍しくふわりと苦笑を漏らす。
 ・・・いつでも、いつまでも変わらないその明快さと誠実さ。躊躇うことなく差し出される笑顔。
 きっと何があっても、どんなに時間が経っても、それらは此処に在るだろう。この先もそれらが同じように変わらずに在り続ける保証など、何処にもないけれど。
 −−−それでも信じる事が出来るのは、これが人と人との絆というものなのかと、シャカは思う。
 信じられる事こそが、幸いであろうと。
 黙り込むシャカに、アイオリアは怪訝な顔でどうしたと尋ねてくる。何でもないとだけシャカは答え、マヤを抱き上げて立ち上がった。
「・・・処女宮に戻る。いつまでも此処にいては、ムウも迷惑であろう」
「そうだな。確かに迷惑そうな顔をしていた。俺が此処にいさせろと言ったら」
 そう言って、アイオリアは笑う。

 −−−静かな夜の中、二人と一匹は連れだち、十二宮の石段をゆっくりと上がっていった。













にゃんを巡る黄金ども。
ホントはオールキャストにしたかったんですが、牛は名前しか出なかったし、山羊に至っては名前すら・・・っ!口惜しい〜・・・。
ところで蟹魚は書いてて大変楽しかったです(笑)。
一方獅子乙女は・・・む、難しい・・・!!(^^;)CPっぽくならなくてスンマソン・・・。





モドル