導く者
















 ・・・その人物が初めて聖域の者たちの前に姿を見せたのは、十二宮の闘いから数えて、14年程前のことだった。
 教皇の命により、空位になっていた黄金聖衣の主たちが世界中で捜索され、不在であった牡羊座、牡牛座、獅子座、乙女座、蠍座、水瓶座のうち、乙女座を除く5つの星座までは比較的苦もなく発見された。だが、最後に残った乙女座の捜索は困難を極め、ようやく発見されたのは、インドの奥地であった。
 十二人目最後の黄金聖闘士として聖域に迎え入れられたその者は、射手座アイオロスの預かりとなり、人馬宮でアイオロスとその弟・獅子座候補アイオリアと共に生活を始めた。だが当の乙女座は、預けられた射手座の人馬宮に入ったきり、殆ど外に出ることもない。
 発見に手間取った上、ようやく保護されたと思ったら、まったく顔を見せない、気配も感じさせない・・・それは逆に、聖域の者達の関心をかえって煽る結果となっていた。







「なあなあ、アイオリア」
 その日、合同訓練で集まった小さな黄金聖闘士候補達が何人か、訓練が終わった後に水飲み場の周辺に集まっていた。獅子座の黄金聖闘士候補であり射手座アイオロスの実弟、アイオリアに声をかけたのは、蠍座候補のミロである。どちらも6歳、物心ついて間もない、幼いとしか言いようのない年齢である。
 ミロは、癖のある明るい金髪に縁取られた笑顔で、アイオリアを覗き込む。
「なあ、お前んとこにいるんだろ、乙女座。どんな奴?」
「ええー・・・? うーん・・・」
 アイオリアは、水飲み場の水で洗ったばかりでびしょ濡れの顔のまま、ミロを振り返った。腕で滴を拭いながら、困った顔で言葉を濁す。兄のアイオロスからは、あまり興味本位な詮索に軽々しく答えないよう、きつく申し渡されている。
 目の前では未来の蠍座の守護人が、屈託ないわくわくした目で自分を見ている。アイオリアは、溜め息をついて言った。
「・・・どんなって言われても・・・。あまり喋るなって、兄さんに言われてるんだ」
「何だよ、いいじゃないか。それは全然関係ない奴にあんまり喋るなって事だろ?俺たちはカンケーあるもん、少しは教えてくれたってアイオロスも怒らないよ」
「うーん・・・」
 煮え切らないアイオリアが何となく周りを見回すと、牡羊座候補のムウと水瓶座候補のカミュも、揃って自分の方をじっと見ている。ミロだけでなく、他の二人も興味があるようだ。
 アイオリアは益々困った顔で、途方に暮れる。彼は兄を大変尊敬し、兄に言われたことは絶対に護ることにしていたから、降って湧いたこの板挟みの状態をどうしていいのか判らない。
 だがそんなアイオリアに、ムウが年齢に不似合いな大人びた笑顔を向けてくる。
「ミロの言う通りだと思いますけど。私たちは多分、十二宮を護る者同士ということになるんですから立派な関係者でしょ。やたらに言いふらしたりしませんから、少しだけでも様子を教えて貰えませんか。・・・とても強い力を持った子だとか」
「・・・うん」
 ムウの言葉に、アイオリアは思わず頷いてしまう。・・・実を言うなら、兄にはああ言われたものの、本当は話したくて仕方がなかったのだ・・・今、共に暮らしている、とても変わった綺麗な乙女座のことを。生来単純な気質のアイオリアは、ミロやムウの言葉で自分の困惑を容易に納得させると、話す体勢でその場に座り込む。するとそれを囲むようにして他の面々が周りに集まって来て、アイオリアはひそひそと小声で話し始めた。
「・・・名前はシャカっていう。すごく強い小宇宙なんだ。それに優しい。傍にいると、不思議な気持ちになる」
「それって、サガみたいな感じ?」
 ミロは、年上の黄金聖闘士の名前を引き合いに出して聞いてくる。サガはアイオロスと同齢の双子座の聖闘士だが、その慈悲深さと小宇宙の強大さで、神の化身とまで言われている。
 アイオリアは、ちょっと考えて、かぶりを振る。
「違う。そうじゃなくて・・・何だか見たこともない、すごく綺麗な場所にいるみたいな感じだ。それに男なんだけど、すごく綺麗な顔をしてる」
「へえー!やっぱり乙女座っていうのは、綺麗なんだあ。アフロより綺麗?」
 今度ミロは、魚座の聖闘士の名前を挙げる。だが、今度はアイオリアは即答した。
「俺は、シャカの方が綺麗だと思うな。・・・だけど」
 そこでアイオリアは、一旦言葉を探すように、口ごもる。それをムウが促した。
「だけど・・・何です?」
「だけど・・・、何だか少し変わってるんだ。何て言ったらいいのかなあ・・・いつもどっか遠くばっかり見てる感じだ」
「何だそれ。ぼんやりしてるってこと?」
「ぼんやりって言うか・・・そうじゃなくて・・・」
 まだ大した語彙を持たないアイオリアは、返答に困ってしまう。
「何か全然別のことに、いつも気をとられてる。話しかけてもちっとも返事しなかったり、食事もしないでずっと座ってたり、不意に聖域の外まで出ていってしまったり、平気でするんだ」
「・・・何だソレ。変なヤツ」
 ミロは怪訝顔だ。それまで黙って聞いていたカミュが、口を挟む。
「・・・全然外に出て来ないって、聞いていたけれど。聖域の外にまで出ていたら、誰かが見かけるのじゃないか」
 ああそれは、とアイオリアが説明する。
「シャカは、瞬間移動が出来るんだ。だからいきなり直接遠くまで行っちゃって、直接帰ってくるんだ」
「・・・瞬間移動」
 それまでは暢気な様子で聞いていたムウが、急に真面目な顔で、大きな瞳をすがめた。
「・・・瞬間移動ですって?・・・その乙女座、私たちと同じ歳でしたよね」
「ああ、6歳だ。同じだよ」
「・・・・・・」
 ムウだけでなく、カミュまで難しい顔で黙り込んでしまったのを見て、アイオリアは少し慌てる。
「・・・何? 俺、なんか変なこと言ったかな」
「・・・アイオリア。君は、瞬間移動が出来るってどういうことか、判ってる?」
 きょとんとしたアイオリアに、ムウは大人びた口調で説明する。
「念動力もなく瞬間移動が出来ると言うことは、確実に第7感以上の力を持つということ。その子はインドから来たと言っていましたが、インドでは何か修行を?」
「・・・いや。自分が聖闘士だってことも、今回初めて聞かされたみたいだった。修行なんか何もしていない筈だけど」
「・・・・・・・」
 ふう、とムウはひとつため息をつく。
「・・・それは・・・結構とんでもないかも知れませんよ。修行もせずに、最初から第7感まで持ってる聖闘士なんて、聞いたこともありません」
「・・・そうなのか?」
 逆にちょっと驚いて、アイオリアはやはり黙りこくったカミュの方を向くと、カミュもこくりとうなづいた。
「・・・白銀聖闘士でも、瞬間移動が出来るっていう人は多くない。勿論、私だってまだ出来ない」
 そう聞いて、アイオリアは自分の短い金茶の髪を困り顔で軽くかき回す。
「そりゃ、俺だってまだ出来ないけど・・・そんなにスゴイことだったなんて、知らなかった。兄さんも何も言わないし」
 ミロが、脇からあっけらかんとした口調で口を出す。
「でもさ、それってすっげー便利そうだよな!一瞬でどこにでも行けちゃうんだろ?俺たちもきっとそのうち出来るようになるから、そしたら十二宮の間の移動もラクチンだ!俺が貰うはずの天蠍宮から、カミュの宝瓶宮までだって、きっと一瞬だ」
 そう言って、最近殊更に仲良くなったカミュの顔を見て笑うが、カミュの方はあっさりとそれを否定する。
「ダメだ。十二宮は瞬間移動が封じられているんだって聞いた。足で歩くしかない」
「ええ、そうなの? ちぇ、つまんない」
 本当につまらなそうに言って、ミロはころりとその場の草地に寝っ転がる。そしてしばし高い空を流れる雲を眺め、それから急に気を取り直したように顔だけあげて、笑う。
「とにかくさ、その乙女座の綺麗な顔っての、見てみたいよな。そのうち逢えるかな?」
「うん。大分慣れてきた感じだから、そのうち訓練なんかにも出てくると思う。そしたら仲良くしてやってくれよ」
 笑顔で言ったアイオリアの言葉に、他の三人は、それぞれの表情で勿論、と答えた。ミロは嬉しそうに、ムウは穏やかに、そしてカミュは少し複雑そうに。







 −−−だがその数日後、彼等が乙女座を目にする機会は思いの外早くやってきた。黄金聖闘士の継承者たち全員を、教皇・シオンが教皇の間に一堂に集め、聖域全体への披露を兼ねた顔合わせを行う事となった為だ。それが、アイオリア兄弟以外の聖闘士たちが初めて乙女座を目にする機会となった。
 集まったのは、すでに黄金聖闘士として宮を護っている10歳から15歳の5人の少年、サガ、アイオロス、デスマスク、シュラ、アフロディーテ。そして今回新たに黄金聖闘士候補として加わった、僅か6歳のアイオリア、ムウ、カミュ、ミロ、アルデバラン、そしてシャカの6人の子供。『女神アテナを護る聖闘士の頂点、最強の黄金聖闘士』、というにはあまりに幼い面々である。
 かろうじて、15歳になる射手座のアイオロスと双子座のサガ、この二人だけは、確かに黄金聖闘士として申し分ない実力と人望、戦績を既に持ち、聖域内で名実ともに『黄金』と認められていた。だが残りの面々は、既に聖衣を継承している者も含めて未だ幼く修行中の身である。・・・しかしそれでも『黄金』には違いなく、彼らは既に聖域にいる青銅聖闘士や白銀聖闘士たちを凌ぐ、或は近い将来確実に凌ぐと思われる程の小宇宙を、その小さな身体に秘めていた。そんな子供たちを、聖域に元々いた聖闘士たちは表立っては歓迎し、しかし心中では相当に複雑な思いをもって眺めていたというのが、実際のところだった。自分たちより一回りも年下の小童が、最強の聖衣を纏って女神の側近くに仕える権利を得る。生まれながらに強力な小宇宙を持ち、天才的な才能を持つこの子供たちに対して、年長者たちが平静でいられる筈もない。
 だからこそ教皇は、黄金聖闘士の面子が全て揃ったと見ると、早々に正式な披露を兼ねた顔合わせを行うことにした。アテナの代行者である教皇が彼らを『黄金』であると認知することが、彼らを教皇の権威の下で庇護するということになる。
 −−−それぞれが、ただ一人の、代替えのきかない黄金聖闘士。教皇にはまだ幼い彼らを、これから生まれてくる筈のアテナの為に、無事育て、守る義務があるのである。
 ・・・まだ教皇が姿を現さない教皇の間には、すでに殆どの黄金聖衣継承者たちと、主だった聖域の聖闘士たちが集まっていた。まだ現れていないのは、射手座のアイオロスと、その弟の獅子座候補アイオリア、そして現在その兄弟に保護されている、乙女座のシャカであった。
 その場には、様々な聖闘士たちのどことなく落ち着きのない小宇宙が満ちている。教皇の玉座の正面に横一列に控えて待つ継承者たちの中で、ミロが居心地悪そうに身じろきして、隣にいる友達にひそひそと話しかける。この蠍座候補の子供は、元々、堅苦しい場は苦手なのだ。
「・・・なあなあ。アイオリアたち、遅いな。どうしたのかな?」
 ミロの声に、カミュはそれを制するように眉をひそめて、指を口元にあてて見せる。・・・だがカミュも、ざわりとした感触の小宇宙がひしめくこの場に少しうんざりしている様子で、珍しくミロの無駄話に付き合って、ひそめ声を返す。
「・・・知らない。アイオリアには朝に一度逢ったけれど、その時は別に変わりはなかった」
「乙女座が厭がってるんじゃないの、ここに来るの。だってずっと人馬宮に引きこもってたのに、いきなりコレだもんな」
「・・・そんな風に言うものじゃない。これは大事な集まりだって聞いた」
「誰に?」
「・・・周りの者に。ミロの周りの者だって、言っていたろうに」
「・・・そうだけど・・・周りの言うことなんてカンケーないよ」
 何故かミロがふて腐れたように言って黙り込んだ時、広間の入り口付近がかすかにざわめいた。どうやら、遅れていた3人がようやく到着したようだった。
 先に立って広間に入ったアイオロスに続く小さな人影に、広間の視線が集中する。継承者たちの何人かも、思い思いに振り返った。
「へえ・・・」
 ミロが、小さく感嘆の声をあげる。
 人々の視線の先には、まだ幼いアイオリアと、それと同じくらいの背格好の見慣れぬ金髪の子供の、布を巻き付けたような衣装をまとった小さな姿があった。その顔は人形のように整っているが表情がなく、白い肌のせいで余計に作り物めいて見える。長めの金の髪が、光に反射して淡く輝いていた。
「・・・確かに綺麗だな。・・・でも、目が見えないのかな?」
 ミロがカミュに囁いた通り、子供は終始目を閉じたまま、アイオロスの後を無表情ですたすたとついて来る。周囲の視線も意に介さぬ様子は、ふてぶてしくも見え、状況が全く判っていないだけのようにも見えた。
「遅かったな、アイオロス。幸いまだ教皇はお見えでないが」
 アイオロスの良き友人であり双子座の聖闘士であるサガが、やっとやってきたアイオロスに声をかける。その場の居心地の悪い雰囲気を少しでも和らげようとしているような、穏やかな口調だ。
 アイオロスは、判っているのかいないのか、いつもと変わらぬ口調で友人に笑ってみせる。
「すまない、サガ。チビどもを連れてくるのに少し手間取ったのだ」
 そう言って、アイオロスは気軽な様子で後ろにいたシャカとアイオリアの頭を撫でて、また笑う。アイオリアは慣れている様子で少し迷惑そうな顔をしたが、シャカのほうは、ぴくりと身をすくませただけで、相変わらず能面のような表情を崩さない。
 サガはそのシャカに目をやり、暫し見つめていたが何も言わず、そのまま無言で彼らに所定の位置につくよう身振りで促した。
 −−−丁度その時、玉座の奥から、教皇の側仕えの声が響いた。
「教皇・シオン様、おなりでございます。皆様、お控え下さいますよう」
 その場にいた聖闘士たちは、一斉に膝をつき頭を垂れる。いまだ女神不在のこの聖域で、女神の意思を代行し、世の平和の為に全ての聖闘士を率いる教皇に敬意を示し、またその言葉に耳を傾ける為に。







「・・・驚いたな。あの乙女座」
 −−−教皇の招集した集会が解散し、夕闇の中を教皇の間から十二宮を抜けて下へ降りてく聖闘士たちは、宝瓶宮にさしかかるあたりから、少しずつ口々に噂話を始めていた。今、広間であったことが信じられない様子だ。
「目を閉じているから盲かと思ったら・・・とんでもねえ。教皇様の命で目を開いた途端、あの小宇宙」
「普段は第六感、第七感だけで『視て』いるんだろう。そして小宇宙を常に溜めて、開眼と同時に放出することができるようだ」
「・・・教皇様が防御を張っていたようだから良かったが、そうでなければ教皇の間だって、きっと只ではすまなかった」
 はあ、と白銀聖闘士の一人が溜め息をつく。
「・・・乙女座もそうだが・・・。他の連中もさすがに黄金というだけあって、とんでもない餓鬼どもだ。・・・空恐ろしいぜ、あれで6歳だの10歳だのって」
 ・・・聖闘士たちがうち揃った教皇の間で、目を閉じたままの乙女座に、教皇は目を開けよと命じた。その力を皆に示せと。その途端、凄まじい小宇宙が周囲を圧倒した。それは物理的な衝撃となってあたりに吹き荒れ、実際に力の弱い青銅聖闘士の何人かが、壁まで吹っ飛んだ。飛ばされなかった他の青銅・白銀聖闘士たちも、突然のことにたじろぎ、多少なりとダメージを負う者が多かった。・・・だがその中で、サガ、アイオロスは勿論のこと、シャカと最も近い場所にいた他の幼い黄金聖衣継承者たちも、咄嗟のことに素早く自らの黄金の小宇宙で平然と身を守ったのである。のみならず、『攻撃』を発した乙女座に対し、幾人かは(恐らく反射的に)瞬時に攻撃小宇宙で反撃をしかけることすらした。教皇が即座に場を収めたから良かったようなものの、それは幼い継承者たちの力の大きさと危険さを、聖域中に知らしめる結果となった。
「・・・聖域や女神のことを考えれば、頼もしいと言うべきなのだろうが。・・・正直、不気味な連中だよ。大体、あんな分別もつかないような餓鬼どもがあんな力を持っていて、一体誰があれらを制御するというんだ」
「・・・教皇様だろ。それにアイオロスとサガか」
 十二宮の石段を歩む聖闘士たちは、ちょうど辿り着いた宝瓶宮を見上げた。
 宝瓶宮・・・ここは長くを無人で過ごした、水瓶座の聖闘士が守護すべき宮。この宮の主たるべき聖闘士は幼い継承者たちの一人だが、その幼さ故に自宮には入っておらず、今はまだ無人だ。だが近い将来、ここも主を得ることだろう。
 水瓶座を受け継ぐべき子供は、先程の教皇の間ではただ静かに佇んでいた。シャカの小宇宙が爆発した瞬間も、他の数人の継承者のように咄嗟に反撃するような軽はずみをすることもなく、ただ自分の凍気を孕んだ小宇宙を張り巡らせて身を守るにとどめた。
 その瞳は、燃えるような赤色にもかかわらず、見る者を凍らせるような冷たさで周囲を見渡していた。6歳という年齢にはまるでそぐわぬその様子は、下位の聖闘士たちの目にはひどく不気味な子供に映った。
 聖闘士たちは、その姿を思い起こして思い思いに溜め息をつく。そして中の一人が、気鬱な様子で呟いた。
「・・・どちらにせよ、できる限り関わりあいにはなりたくないな・・・あんな化け物どもとは。あれらは、まるきり両刃の剣そのものだ。下手をしたら、我らにその剣先を向けるかもしれない」
「・・・まったくだ」
 聖闘士たちはまたため息をつき、それきり黙って無人の宝瓶宮を通り抜けて行った。







 ・・・同じ頃。射手座・アイオロスの守る人馬宮。
 シャカとアイオリアと共に自宮に戻ったアイオロスは、やれやれと二人の子供・・・特に、目を閉じたまま黙って佇むシャカに目をやった。
 居間にしている部屋でシャカを椅子に座らせて、アイオロスはその前で床に片膝をつき、同じ目の高さでシャカに語りかける。
「・・・シャカ。今日のは少しやりすぎたのではないか。いつもは目を開いても、あんな騒ぎにはならんのに・・・どうしたことだ」
 シャカは、目を閉じたままじっとアイオロスのほうに顔を向けるが、黙したままだ。シャカとアイオロスの間で、アイオリアは落ち着かない様子で二人の顔を見比べている。
 アイオロスが辛抱強くシャカの返答を待つと、暫くしてようやく、シャカはその口を開いた。
「・・・力を示せと。そう言われた。だから」
「・・・だから、素直に力を発したのか? そう言われたから」
 こっくりと、シャカはうなづく。
「『教皇』の言葉には従うものだと・・・あなたが言った。だからそうした。・・・それに」
 一旦言葉を切り、シャカは暫しの間をおいて、言葉をついだ。
「・・・それに、確かにあの人は『率いる者』。・・・悲しんでいた」
「悲しんで・・・?教皇がか」
 シャカは、再びこっくりと頷く。
「・・・暗い道だと。虚実が確かなものではないと、知っていた。だからこそ今、確かな力を示せと言った」
「・・・教皇が、お前にそう言ったのか」
 三度うなづいたシャカを、アイオロスは溜め息とともに見つめた。周囲に聞こえた事以上に、教皇はその小宇宙をもって直接シャカに語りかけていたらしい。黄金聖闘士を受け継ぐ一人とはいえ、どうやら教皇がこの乙女座の聖闘士を、殊更に気にかけているらしいことが知れる。恐らくは、シャカのその強大な力ゆえに。
 暫くアイオロスは、何と言ったものか言葉を失ったようにシャカの顔を眺めていたが、やがてその沈黙に耐えられなくなったのは、アイオロスでもシャカでもなく、二人を気がかりな様子で見ていたアイオリアだった。
「・・・兄さん。シャカのことを怒ってるの?」
 心配そうに言った弟の言葉に、アイオロスは苦笑して、アイオリアの金茶の髪をかきまわした。
「・・・いいや、怒ってなぞいるものか。シャカはただ、言われた通りにしただけらしい。・・・まあ、少し手加減というものを覚える必要は、ありそうだがな」
 そう言って、アイオロスはシャカの金髪もかきまわして、笑う。シャカはまたぴくりと身をすくませたが、アイオロスはそれを気にする風も無く、そのまま立ち上がった。
「さあ、今日は疲れただろう。教皇宮で食事が出て助かったな・・・お前たちはもう休みなさい」
 兄の笑顔に、アイオリアは安心したように笑って頷き、シャカの手を引いて奥へ下がった。
 アイオロスはその後ろ姿を見送って、一人居間でまた溜め息をつき、窓の外を見やった。・・・遠く、教皇宮の灯りが、かすかに夜空を照らしているのが見えた。







 まだ宮を預かっていない幼い黄金聖衣継承者たちは、アイオリアとシャカを除いて皆、十二宮の麓に教皇からそれぞれ仮の住居を賜っていた。そこで、側仕えの者や、その時々で指導にあたる聖闘士と共に暮らしている。
 集会が解散し、教皇宮の入り口で待っていた側仕えの者たちと十二宮を降りてきたカミュは、ミロのいる筈の住居の辺りが騒がしいのに気づいた。カミュが出てきた時は、すでにミロの付き人たちの姿はなかったから、ミロはカミュより先に戻っている筈だった。
 通りすがりに、慌てた様子で住居の周辺を走り回っていたミロに仕える雑兵に、カミュは声をかける。
「・・・どうしたんです。何かあったの」
 突然声をかけられたその雑兵は、振り返った先に、数人の付き人を伴った幼い水瓶の聖闘士の姿をみとめて、慌てて地に膝をつく。
「・・・騒々しいことで申し訳ありません、アクエリアス」
「・・・何かあったの。ミロは」
 雑兵は、わずかに頭を垂れて、言う。
「・・・それが、お姿がなく・・・。それで、皆でお探ししておるところで」
 カミュは、自分の背後にいる自分の付き人たちが、かすかに呆れたような溜め息をついたのを聞き逃さなかった。ミロは幼い黄金聖闘士候補者たちの中でも特に奔放で、今までにも突然姿を眩まし、周囲の者たちを困らせることがあった。それを周りの人間たちは、例えばアイオロスがアイオリアやシャカにしているように温かく見守っている訳では決してなく、はっきり言ってしまえば面倒な子供だと、やや迷惑がっているのを、カミュは知っていた。子供とはいえ正統な黄金聖闘士であり、地位からしても力からしても雑兵や付き人ごときが逆らえる筈もなく、扱いに困っているのである。
 ミロを捜し回っている者たちのどこかうんざりしたような顔や、自分の付き人の失笑に、カミュは苛立ちを感じる。・・・だが、それを表立って言葉にしてはいけないという事も、幼いカミュには判っていた。
 カミュは、自分に従っている者たちを顧みた。
「先に戻って下さい。私がミロを捜してくるから」
「アクエリアス、そんな事は・・・」
 当然のように反対した付き人に、カミュは強く言う。
「いいから。私は一人で大丈夫、すぐにミロを探して来る。だから皆は待っていていい」
「しかし」
 尚も言い募ろうとするその者を、カミュはその紅い瞳で静かに見据える。
「・・・いいと言っている。大丈夫、迷惑はかけない。何かあれば、すぐに小宇宙を飛ばして報せるから」
 カミュの付き人とミロの雑兵たちは、揃って顔を見合わせる。・・・しばしの沈黙の後、付き人が渋々と頷いた。
「・・・判りました、お待ちしております。何かあれば連絡を」
「ありがとう」
 かすかに微笑してみせて、カミュはすぐにその場から手近な岩場に跳び上がり、身軽に岩をつたって跳び、麓の向こうの闇の中へ姿を消した。







 ・・・十二宮のある山地は険しい岩山だ。岩肌が剥き出した切り立った崖や谷が続く厳しい土地で、少し奥に入れば、人目の届かない場所などいくらでもある。
 夜の闇の中、カミュはミロの小宇宙の気配を探り当て、月と星の明かりと、そして自らの感覚を頼りに岩場を越える。
 やがて辿り着いたのは、ひらけた崖の上だった。夜空に張り出すように突き出た崖のへりに座り込んで、両足を中空でぶらぶらさせているミロの小さな後ろ姿を見つける。
 視界を邪魔するもののない広大な夜空に、降るような星と天の川が輝く。それを、ミロはつまらなそうに見上げていた。
 黙って背後からカミュが近づくと、ミロは振り向きもせずに声をかけてくる。
「・・・カミュが探しにくるとは思わなかったな。お前が相手じゃ、すぐに見つけられちゃうよ」
 そう言って、ミロはようやく振り返ってカミュに笑う。カミュは、小さく溜め息をついてミロの隣に座り込んだ。
「・・・皆、慌てて探していた。・・・どうしたんだ?」
「んー・・・」
 ミロはまた少しふて腐れたような顔で、カミュから視線を外す。
「・・・ミロ」
 カミュの呼びかけに、ミロは宙に放り出していた両足を引き寄せて、両の腕で抱え込むようにして前方の闇を見つめた。そして、独り言のように言う。
「・・・さっき広間で・・・、乙女座が目を開けた時。思わずやり返した」
「ああ・・・」
 カミュは、先程教皇の間で繰り広げれられた一件を思い返す。乙女座・シャカが目を開いた瞬間放たれた強力な小宇宙に反応し、防御のみならず反射的に反撃の小宇宙を放った者が、黄金の中に数人。そのうちの一人がミロだった。それらの攻撃小宇宙は、咄嗟のもので指向性に欠けていたこともあり、その場でたちどころに教皇の力で抑え込まれ消し飛び、大事には至らなかった筈だった。・・・ミロが、何を気にしているのか、カミュにはよく判らない。
「あの時、教皇が俺に言った。・・・それではただの、凶器だと」
 それだけ言って、またミロは黙り込む。
 −−−教皇が言ったという言葉は、カミュには聞こえていない。恐らく教皇は、ミロやその他の攻撃をしかけた黄金聖闘士たちに、小宇宙で直接呼びかけたのだろう。
「・・・それで?」
 カミュの促しに、ミロは小さく息を吐いて、言う。
「・・・それで、俺もその通りだなと思った。・・・ただそれだけだ」
 そう言って、ミロは立ち上がると手近な岩壁の方を向いた。
 そして突然自らの黄金の小宇宙を解放し、それを一気に指先の一点に集中する。
「ミロ・・・!?」
  さすがに驚いたカミュの目の前で、ミロの指先から勢いをつけた小宇宙の塊が放たれ、眼前の岩壁に激突する。鋭い音と共に岩壁に小さな穴が穿たれ、一瞬の後、そこからみるみるうちにひび割れが生じ、岩壁はどっと崩れ落ちた。
「ミロ、何を」
 カミュは、慌てて立ち上がってミロの腕を抑える。・・・だがミロはそれきり、何をするでもなく、ただ自分の手を見つめて佇んでいる。
「・・・ミロ」
「・・・この、力。これが俺を凶器にするんだ」
 ミロは、ひとつため息をついて、空を見上げた。・・・そこには、ミロが守護星とするべき星座、蠍座が、深紅の心臓アンタレスを擁して明るく輝いている。
「・・・皆、周囲の者は俺をそんな風にしか見ないだろ。俺がどんな我が儘を言っても、恐ろしいという顔で何も言えないんだ。俺はそれをどうしてって思っていたけど・・・でも今日のような俺は、皆が思うように凶器でしかないんだなと思った」
「そんなこと」
 カミュは、ミロの腕を抑えたまま、その青い瞳をのぞき込んで、ゆっくりと言う。
「・・・そんなこと。能力を制御する為の、技術と力を得ればいいだけのことだ。それが出来れば」
「出来れば?出来たって、力が消える訳じゃないだろ。周りにしてみたら、どんなに大人しくしてたって凶器を持ってるってことには変わりないよ」
 くすり、とミロは笑う。・・・それはいつも昼間に見ているような、明るい笑顔ではない。こんな風にミロが笑うのかと、カミュはひやりと心が冷える思いだった。
「俺たちはさ、カミュ。守護者と言われながら、守るべき者たちに疎まれる。それでも守れと言われても、俺は出来ないよ。・・・そんな奴ら、勝手に死ねばいいと思う」
「・・・ミロ」
 不穏な言葉を事も無げに言うミロに、カミュは静かに呼びかける。だがミロの、昏い笑みは消えない。
「だってそうだろ。弱い奴は勝手に死ねばいい。聖域にいる奴らなんて、俺たちを都合良く使いたいだけだ。・・・だったら凶器が凶器らしくしても、おかしくはないだろ」
 カミュは、ひとつ溜め息をつく。−−−ミロの言っていることは、カミュにも実感として判ってしまう。確かにミロの言う通り、自分たちは聖域にとって都合のいい道具なのだという事は、此処に迎えられてからずっと感じていたことだった。
 だがそれでも、確かに守りたいもの、手に入れたいものはあると、カミュは自分自身に言い聞かせながら、ミロにも語りかける。
「・・・ミロの言っている事は判る。ミロは間違ってはいない。確かに聖域の者のことなんて、実を言うなら私だってどうでもいい。・・・でもそれでも、私たちは本来『女神』の為の聖闘士だ。女神にお会いしないうちに、全て決めてしまってはいけない」
 女神、とミロはカミュの言葉を繰り返す。・・・女神アテナの御名、それは不思議にそれだけで、自分たちの精神に力を与える。
 それに、とカミュは珍しく微笑をミロに向けた。
「・・・それに、少なくとも私やムウやアイオリア、他の黄金もみんな、多分誰もミロを怖いとは思わない。だってみんな、自分が一番強いと思っているみたいだから」
 その言葉に、ミロは途端に不快そうに眉をひそめる。
「・・・なんだそれ? 俺だって、他の奴らに負けるなんて思わない」
「ほら、そんな風に」
 カミュは笑って、ミロの手をとる。
「・・・他の黄金がどう思うかは判らないけれど、でも私には、ミロの言っていることが判る。そして世界中の何処に行っても、きっと本当の意味でミロの言うことを判るのは、聖域にいる私たちだけだ。・・・それならば、少なくとも自分の役割を正しく見極められるまで、ここにいる理由はあるだろう?」
「・・・、・・・カミュは」
 ミロは、綺麗な青い瞳をじっと眼前の水瓶の聖闘士に向ける。
「カミュは、ここにいてイヤなことってないのか」
「あるよ。言ったろう、ミロの言うことは判るって・・・だって聖域にいる誰も、本当には私自身のことを見ないから。・・・でもミロたちだけは、私のことをこうしてちゃんと見るだろう。だから私は、アテナが聖域にお帰りになって、自分が本当に女神を守りたいと思えるかどうか見極めるまで、ミロたちのいる聖域にいる」
「・・・もし、女神を守りたいと思えなかったら?」
 ミロの問いに、カミュは小さく笑う。
「・・・そうしたら、ミロの言うように『凶器』らしく振る舞ってみてもいい。つきあうよ」
 その答えに、ミロは可笑しそうに笑った。それは、日の光のもとで見るいつもの笑顔とさほど変わらず、内心カミュはほっとする。
「・・・そっか。だったらいいや・・・それなら俺も、カミュにつきあう。どっちもそれなりに楽しそうだ」
 そう言って、ミロはもう一度自分の守護星座を遠く見上げた。そして、呟くように、言う。
「・・・でもさ。出来たら俺は、女神を守りたいって思えたらいいなと思う。−−−そうしたら俺は、本当の意味で強くなって・・・凶器じゃなく、守護者になれるから」
「・・・うん」
 カミュは、ミロのその言葉に心から頷いた。
 ・・・自分たちの持つ、この超常の力。この力の正しい使い道は、恐らく女神だけが知っている。女神だけが、最も有効に、そして大切に自分たちを使ってくれる存在だと・・・そう信じていたかった。
 それを自分たちが実際に確かめられるのは、一体何時のことだろう。
 ・・・そんなことを思って、カミュもまた、夜空の星を見上げた。







 人馬宮の奥深い小さな一室でもまた、二人の幼い聖闘士が対話していた。
 ベッドは二つあるのに、一つの寝床に身を寄せて、毛布の下で囁きかわす。
「・・・シャカ。さっき言ってたこと、どういうことなんだ?」
 アイオリアは、目の前の白い顔に語りかける。閉じた瞼を縁取る睫は、薄闇の中でも淡く金に光って美しく、アイオリアは知らずつい見とれてしまう。
 シャカは、何を言われているか思い当たらない様子で黙っているので、アイオリアは言葉を足した。
「さっき、兄さんに言っていたことだよ。・・・教皇さまが、言ってたって・・・ええと、なんだっけ?」
 シャカは、しばしの間をおいて、機械仕掛けのような平坦な口調で、諳んじる。
「・・・『この先は、全ての者にとって暗き道程。虚実も不確かに揺らぐ、さればこそ、確かな真実をその力として示せ』」
 アイオリアは、眉をひそめて呟く。
「・・・全然、判らない。どういうこと?」
 また数瞬の間をおいて、シャカが綺麗な声で言う。
「・・・『導く者』の、不在・・・」
「・・・『導く者』って?」
「女神」
 即答したシャカに、アイオリアは一瞬びっくりしたように僅かに瞳を見開くが、やがてにっこりと笑う。
「大丈夫だよ。女神は俺達が待っているのをご存知だから、きっとすぐにいらっしゃるって、兄さんが言ってた。そうしたら、暗い道も女神が照らして下さる」
 そう言うと、アイオリアは一つあくびをして、すとんと眠りにおちていく。・・・その寝顔は穏やかで、シャカはそれをじっと閉じた目で見つめる。
 やがてシャカは、アイオリアを起こさないようそっと半身を起こすと、窓の外にその白い面を向けた。
 ・・・暗い夜。空にはあまたの星座が輝く。そして遠くに見える、教皇宮とアテナ神殿の、淡い光。
 それを閉じた瞳で見つめながら、シャカはひとり誰に言うともなく、呟いた。

「−−−でも光は、まだ遠い」










 −−−女神・アテナの化身、城戸沙織がようやく聖域に足を踏み入れるまで、この後十三年の月日を要する。
 だがそれは、今の彼らには知る由もないことだった。












核爆弾みたいに危険な子供たち。強くて当然、孤高で当然の、守護者、あるいは危険物として扱われて育ったのかなあ、と。
そういう中で、たった一つでも、ヒトとして対等に大切に思える者や物があってくれたらいいなと思います。








モドル