シャカが小さな白猫を拾ったのは、とある晴れた日だった。
 十二宮の石段の片隅で、一匹の猫がカラスの群に襲われ血塗れになって死んでいた。その死体の下に護られていた、小さな白い子猫。親猫が、飢えたカラス達に狙われた我が子を身を呈して庇ったものと思われた。
 そんな状況に出くわしたシャカが、親猫の引き裂かれた死体を抱いて血塗れで佇んでいた処に、蠍座と水瓶座が通りがかった。少々ゴタゴタした挙げ句、結局シャカが子猫を引き受け、獅子座が『マヤ』と名を与えた。
 それまで険しい荒野で生活してきたせいか、子猫は相当痩せ細って衰弱していた。「私の手の内で死ぬのは許さん」と曰ったシャカは、たった一匹の小さな猫を癒す為、己の強大な小宇宙を昼夜問わず傾け、そればかりか蟹座まで引っ張り出して似合わぬ洋服など身につけ、アテネの動物病院に通院(!)までした。そんな苦労の甲斐あり子猫は徐々に元気を取り戻していた。
 −−−そんなある日。







「・・・だから!それで何で俺のとこに持ってくるんだよ!?」
 天蠍宮に、主の叫びがこだまする。
 その叫びの的になっているのは、処女宮からやって来た乙女座だった。その腕には、布にくるまれた子猫が抱かれている。
 シャカは飄然とした顔で、事も無げに言った。
「例の如く不在者が多い。それにこのシャカが、事情を知らぬ者に一から説明する謂われはない。既にマヤを知るのは君とアイオリアと水瓶座、それに蟹だが、水瓶座は戻っておらぬし蟹は論外だ」
「だったらアイオリアのとこに行け!」
「行った。だが、日中は聖闘士候補たちの指導とやらが忙しくてとても抜けられないので、ミロの処へ行けと言われた」
「・・・あンの馬鹿獅子・・・」
 拳をぎりぎりと握りしめ、ミロは天蠍宮から遠く下方に見える獅子宮の屋根を睨み付ける。
 そんなミロの様子には頓着せずに、シャカは布に包まれた子猫を、すいと蠍座の方に差し出す。
「私は教皇より勅を受けたので、疾く発たねばならぬ」
「・・・で!?俺に、この俺に!猫の世話をしろってのか!?」
「功徳をつむ機会だ、有り難く受け取りたまえ。暇を持てあましてロクな事はあるまいから、丁度良かろう」
「馬鹿言え!俺に猫の世話なんかが出来るとでも!?」
「では私が共に連れてゆくか、或いは放置となるが」
「う・・・っ」
 ミロは言葉に詰まる。黄金が赴く勅命に、こんな弱った獣など連れて行ったら一発で死んでしまう。現状で放置しても、また然りだ。
 ミロはシャカがこの子猫を拾った現場にたまたま居合わせ、親猫が命と引き替えにこの子猫を護って死んだのを知っている。それに頼まれて嫌と言える性格でもなく、その上、元来動物好きだ。・・・既に選択の余地は無い。
 反論を封じられ、ミロはぐぐぐと数秒唸り・・・やがて盛大な溜息をついた。
「・・・何をどうすればいいんだ。ミルクなり餌なりやって、薬を飲ませて様子を見ていればいいのか」
「そのようだ」
 他人事のようにへろりと言って、シャカは子猫をくるんだ布ごとミロに手渡した。そして持参した餌やら毛布やらの詰まった駕籠もミロに押しつけ、他に幾つかの注意事項を簡単に述べる。
 最後にシャカは、当然のようにこう言った。
「ちなみに私の留守中に、万が一、なぞと言うことがあったなら、それ相応の返礼があるものと心得ておきたまえ」
 その言葉に、ミロはぴきりと固まる。
「・・・は!? おい、それが人にモノを頼む態度かお前!?」
「因果応報」
 一言無表情にそう言って、シャカはそのままくるりと踵を返した。
 ・・・その後ろ姿を、ミロは呆然と見送る。因果応報ってお前言葉の使い方ちょっと違うんじゃないのかとツッコむ間もなく、シャカはすたすたと石段を降りていく。
 −−−腕の中の子猫が、ひどく心細げに小さく啼く。・・・ミロは手元の白い毛玉を見下ろして、また溜息をついた。






「・・・こらこらこらこら!具合が悪いんじゃなかったのか!?」
 天蠍宮に入るなり、子猫は大変な勢いで暴れ回った。先程のいかにも心細げな風情はどこへやら、シャカに置いていかれたのが余程腹に据えかねたのか、呆れるほど怒りまくっていて、部屋中をどたばた駆け回る。テーブルの上の物を薙ぎ倒しカーテンによじ登り敷物で爪を研ぎ、挙げ句の果てに家具の僅かな隙間に駆け込みそうになる小さな野獣を、ミロは寸手のところではっしとひっつかまえた。
 首根っこを掴まれた子猫は、小さいながらも威嚇の声をあげて、自分を掴まえたミロの手をじたばたと引っ掻こうとする。やれやれと深い溜息をついて、ミロは目の前に子猫をぶら下げた。・・・アフロディーテでもいれば、この役を押しつけてやったのに。あいつは確か猫好きだったし、そもそもこういうのはもっとマメな奴がやる役どころだとつくづく思う。・・・だが、例によって多分魚座も不在なのだろうし、引き受けてしまったものは仕方ない。
 ミロは、ぶら下がった子猫に言い含めるように言った。
「・・・あのな。お前の主人は暫く留守で、お前は何日か此処で我慢するしかないんだから、無駄な抵抗はやめて諦めろ。あっちゃこっちゃ走り回られてお前が怪我したり具合悪くしたら、俺が天舞宝輪の餌食なんだからな」
 猫はぶら下げられたまま、ミロの言葉を頭の中で咀嚼するように黙り込み、ぶすりとした顔で大人しくなる。
 ようやく諦めたらしい子猫の様子にミロは笑って、白い毛玉を自分の膝に落とし、片手の掌にも余る程に小さな背中をぽんぽんと撫でる。
「まったく飼い猫が聞いて呆れる、野良みたいな気の荒さだな。綺麗な顔して飼い慣らされたフリしてるような処は、飼い主似か?」
 くくっと笑って、膝の上の獣を戯れにひっくり返したりしてみる。猫が憤慨したようにムキになって抵抗するので、それが面白くて尚もコロコロと転がすと、マヤの方もそのうち嬉しそうに甘えて、手にじゃれついてくる。
 小さな手足や細長いシッポはちまちまとよく動き、そんなモノを見ていると何やら無性に楽しい。ヒトはおろか生き物の気配も殆ど無い閑散たる十二宮では、こんな小さな温もりすら得難く感じられるようだ。小さいのにちゃんと生きているんだなあ、なぞと、当たり前の事を今更のようにミロは思い、思ってから、何だか以前にも何処かで似たような感想を抱いたという既視感が頭を掠める。
 ああカミュの処のチビどもだった、とすぐに思い出して、一人笑む。
 極寒の地で文字通り風雪に負けず、跳ね回る二人の子供。ちっともじっとしていなくてボール球みたいなのに、意外としっかり自分の考えを持っていたりする。それに妙に感心して、小さいのに生きてるんだなあと以前カミュに洩らした。馬鹿にされるかと思いきやその感想に、水瓶座は珍しく穏やかに笑んで、そうだな、と答えたのだ。・・・その優しげな微笑が、印象に深い。
 子供らと猫を一緒にする気はないけれど、しかし手の中で確かに何かを護っているという実感は、多少似ているだろうかと思う。
 そんなことを考えながら、子猫の温かい体温を掌に感じていると、何だか色々思い出されて苦笑する。・・・あの弟子馬鹿の、ちっとも聖域に帰って来ない自分にとって大事な者の、声だとか掌の温度だとか。
 猫→子供→カミュ、というその訳のわからない連想に、我ながらただ笑うしかない。
「・・・そろそろ、定期報告で帰って来る時期だと思うんだがな。お前みたいなチビじゃとても代わりにはならないが、それまではお前と暇つぶして紛らわしておくか」
 子猫を撫でながら呟いた独語に、子猫は不思議そうに真っ青な瞳を向けてくる。何を紛らわすのと問いかけてくるようなその瞳に、ミロはまた苦笑する。
 ・・・口惜しいが、シャカの言うように暇をもて余すとロクな事を考えない。
 とにかく此処はちょっと寂しすぎるのがいけないんだよなあ。そう呟いて、ミロは三度、苦笑を漏らした。






 ・・・翌日。
 定期報告の為に聖域に戻った水瓶座の聖闘士は、天蠍宮で怪しげな光景を目撃した。
 居間の床にはあちこちに、ゴミとしか思えないモノ・・・枕の中から引きずり出してきたらしい羽毛だとか、丸めた紙片だとか、紐だとかが散乱しており、その中央で「うりゃ!」とか「これでどうだ!」とか喚きながらハタキを振り回している蠍座の聖闘士。
 それと対決しているのが、何故か小さな真っ白い子猫。
 ミロが振り回す羽ハタキに、今にも飛びかからんと子猫は狙いを定めている。しかし飛びかかったのは、ハタキの先ではなくてそれを握ったミロの手だ。イテテと悲鳴を上げて、爪をたてる子猫をばりんと腕から引っぺがし、ミロはいたく真剣な面もちで猫に言う。
「卑怯だぞ、マヤ! フェイントは無しだと言ったろう! それに相手に怪我をさせるのは未熟な証拠だぞ!」
 そう言うミロの腕やら手やらは、確かにひっかき傷だらけでスゴイことになっている。
 何と声をかけたものか逡巡した末、ミロ、とようやくその背中にカミュは声をかける。肩越しに振り返った蠍座は、嬉しげに屈託ない笑顔を向けてくる。
「よう、お帰り。そろそろ帰って来る頃だと思った」
「・・・・・・ソレは何だ」
 不審げにミロの傍らにある白い毛玉に視線をやるカミュに、ミロは笑う。
「シャカの猫だ。お前も拾った現場にいたろうが」
 ああ、とようやく思い出したように言ってカミュが改めて猫を見ると、マヤは突然現れた第三者に、背中の毛を逆立てて警戒している。それを床からすくい上げるように抱き上げて、ミロは腕の中で猫の顔をカミュの方に向かせて言った。
「忘れたか、マヤ。お前の母親の墓を作って、血塗れだったお前を綺麗に洗ってくれたヤツだぞ?」
 言われてマヤはハッとしたようにぱちくりとひとつ瞬きし、逆立てていた毛をすうっと戻した。
 その子猫の様子にカミュは多少感じ入ったように、腰に手を当てて友人と友人の腕の中の獣を見下ろす。
「まるでお前の言葉が判るようだな」
「そうなんだ、こいつ妙に賢い。シャカの小宇宙にあてられてるせいかな」
 手の中の子猫の小さな頭をくしゃりと撫でて、ミロは笑う。その笑顔を眺めやって、カミュは尋ねた。
「・・・で、何故その猫がこの天蠍宮にいるのだ」
「シャカが勅を受けて留守だ。それで世話を頼まれた」
 成程、と呟いて、カミュは散乱した紙くずや紐の切れっ端(多分、ミロが即席で用意した猫用玩具)を避けるようにミロの傍らに腰を下ろす。常日頃から不在の宮が多い十二宮だが、今日は確かに処女宮も無人だった。獅子座も下の闘技場に降りているらしく不在で、何とこの天蠍宮まで黄金誰一人と出逢わなかった。・・・そして恐らく、この後の宮も無人だ。
 自分も普段(教皇の命での弟子育成の為とはいえ)守護宮を離れている手前、あまり偉そうな事は言えないが、・・・しかしこれはあまりにも、と思う。十二人守護者のいる筈の十二宮。なのに実際には、一時的とは言え一人と小さな子猫一匹しかいないとは。
「・・・どうも最近の十二宮は不用心だな。無人の宮が多すぎるようだ」
 呟いたカミュの言葉に、ミロが少し驚いたようにカミュを顧みる。
「・・・まさかここに来るまで、誰もいなかったとか?」
「そうだ」
 マジか、とミロは叫んで、ふと視線を宙に浮かせる。十二宮内の気配を探っているようだったが、やがて盛大な溜息をついて仰向けに床に転がった。
「・・・ムカつく。俺一人か!」
「気付かなかったのか」
 やや呆れて言ったカミュに、ミロは「よくあるからな」とぶすりと答える。
「人の気配が無いのに慣れてしまった。いちいち気にしていたらやってられない」
 だけど俺一人とは思わなかった、と溜息混じりにそう言って、ミロは寝っ転がった自分の腹の上に鎮座する子猫をぽんぽんと軽く撫でる。
「おいマヤ。今、十二宮を護ってるの俺とお前だけらしいぞ。頼もしい限りだな」
 皮肉っぽくそう言って笑うミロを、傍らのカミュはしばし見やる。・・・よくある、とミロが言う程頻繁にこんな状態なのかと内心で驚いたし、自分がそれすら知らないことに改めて気付いて、小さく溜息を漏らす。
 ・・・こんな無人に近い十二宮で、この蠍座が一体何を思って日々暮らしているのか、自分は殆ど知らない。曇りを知らないような明るい振る舞いの影に何があるのか、ミロは見せようとはしないし、暴かれるのも勝手に当て推量されるのも、望んではいないだろうが。
 −−−床の上に転がるミロを覗き込むように、カミュはその深紅の瞳で見下ろして、微笑する。
「・・・これではアテナに対して、あまりに畏れ多い。せめてシャカが戻るまで、私は宝瓶宮にいよう」
 その言葉に、本当か、とミロは嬉しげに笑う。床から手を伸ばして、落ちかかる紅い髪を梳くように触れ、喉の奥でまた笑って。
「・・・猫なんかかまってたら、少し人恋しくなってたんだ。お前に逢いたいと思ってたから、少しでも長く居てくれるなら得した気分だけど。・・・こういう事なら十二宮の閑古鳥状態を放置してる教皇にも、少しは感謝すべきか」
 そう言って寝っ転がったまま、カミュを引き寄せて楽しげに口づけてくる。
 覆い被さるようにそれに応えたカミュが、間近の深青の瞳に向かって、薄く笑んだ。
「・・・何にせよ、仲間は小さな猫一匹だけというよりは、あてになるだろう」
「違いない」
 そのやりとりに、傍らで二人をじっと見ていた子猫が、失礼な、と言うように憤慨した声で鳴く。ミロは笑い、宥めるように子猫を撫でて、言う。
「・・・女神以外に護るモノがあるのが、良いのか悪いのか俺には判らないけど。でもこんな風に手の中で頼ってくるモノがあるなら、まずそれを護るべきだろうな。多分シャカも、そう思っているのだろうし」
 だからお前も、とミロはカミュの紅い瞳を見上げて、微笑する。
「氷河たちがシベリアで待っているんだろう。シャカの帰還があまり長引くようなら、待たずにさっさと戻れよ。お前が今護らなきゃならないモノは、あいつらだろうから」
「・・・あの子らは猫の子ではない。少しくらい放っておいても、自分のことくらい自分で面倒をみる」
「嘘をつけ、そんな風に思っていない癖に」
 くすくす笑って、ミロはつと間近のカミュの目を真っ直ぐ射抜くように見る。そして口の端を吊り上げるように笑んで。
「あいつらは、確かにまだお前が要るだろ。でも俺は、自分の面倒くらい自分で見る。だから妙な同情したら殺すぞ、カミュ」
「・・・判っているとも」
 思わずカミュは苦笑を洩らす。
「お前を、氷河たちや、ましてや猫と同じように扱う気など毛頭無い。大体そこまで素直でもなければ可愛げもない癖に、よく言う」
「可愛げなんかあってたまるか。それにお前に言われたかない」
 そう言い返してくるミロに、ただ笑う。そして返事の代わりに屈みこみ、その首筋に唇で軽く触れる。・・・一瞬触れた肌から伝わる気配は、いつもと変わらずに明るい。その心地よさに、知らず笑みが洩れる。
 ・・・ふと、奇妙に髪を引かれる感触と同時に、ミロが可笑しそうに笑う声が聞こえて、カミュは顔を上げた。屈みこんでいたせいで床に散っていた紅い長い髪に、子猫がじゃれついてわたわたと絡まっている。
「しっかり遊び相手にされてるな。丁度良かった、昼飯の準備しようと思ってたんだ。お前こいつの相手してやってくれ」
 一方的に言って、ミロは先程まで自分が振り回していたハタキをカミュに押しつける。
「・・・・・・。これで、私にどうしろと・・・」
「どうって、じゃらして遊ばせるんだよ。テキトーに振ってりゃそいつ勝手に遊ぶから」
 そう言って、ミロはさっさと起きあがってキッチンに消える。カミュは絶句して手の中のハタキを呆然と見やった。
 −−−傍らを見れば、子猫がわくわくした眼でこちらを見ている。
 ・・・暫くそのまま固まったカミュは、やがて盛大な溜息をつきつつ、たどたどしくハタキを振ってみたりするのであった。










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2000hitで頂いたキリリク、お題は『ミロとにゃんこが戯れているお話』でした。
リクエスト下さいました各務綾羽さま、ありがとうございました!m(_ _)m

猫と真剣(笑)に遊ぶミロりんとゆーのと、猫をはさんでカミュとミロが日常会話している図とゆーのが書いてみたかったのですが・・・・・・スミマセン・・・なんつうかこう、なんとゆーコトもない話になってしまいました・・・スミマセンスミマセンこんなんで・・・・・・(><;
それに結局、CP風味がかすかに入ってしまいました・・・。なるべくCP要素は無しでいこうと思ってたんですが〜・・・相変わらずどっちが上やら下やら判りませんが(ーー;)
ちなみに年齢設定は18歳前後くらいのイメージです・・・。
・・・各務さま、こんなんですが、よろしかったらどうぞお納め下さいませ・・・(><;)

ちなみに猫設定は、しつこいよーですが友人の唯ちゃんが作った設定です。今回の冒頭にある、シャカがマヤを拾った経緯や、シャカが蟹を引っ張りだして動物病院に通院する話(笑)は唯ちゃんが自サイトで書いているお話の内容を流用させてもらったものです。現物はこちらのサイト(『静止空間』様)でどうぞ。面白いっすよー。





モドル