94.全部
−−−目を開けてまず気づいたのは、躰ごと誰かに抱え込まれていることだった。
辺りは、白く清廉な光に満ちている。
それは単なる朝日であるらしかったが、不審なくらいに酷く眩しく、視界がきかない。何とか視線を凝らすと、そこは良く知った自宮−−−宝瓶宮の、寝室だった。
躰は奇妙な違和感に軋み、動かすこともままならない。思考も感覚も鈍い。まるで周囲を半透明の薄い膜が、何層にもなって取り巻いているかのような、現実味の無さだ。
・・・だた、よく馴染んだ体温がすぐ傍にあることだけが、いやにはっきりと判った。
状況が把握できないまま、どれくらいそうして呆としていたのだろう。
何故、此処にいるのだったか。
何があったのだったか。
そればかりを回らぬ頭で反芻していて、不意にはたと思い出す。
−−−確か私は、死んだのではなかったか?
・・・余りに間の抜けたその事実に、瞬間、呆然とした。途端に記憶と現実感が、どっと脳裏に溢れかえる。
・・・深い晦冥の底。身に纏った黒の衣。
己の総てを置き去りにして昇った、闇の十二宮。
−−−最期に見たのは、教え子の泣き出しそうな顔だった。そして塵芥となって崩れる、自分の指先・・・−−−
閉じた瞼の裏に斬り込んできたそれらの映像に、思わず息を呑む。
・・・だが、見開いた眼には、白々と明るい朝が映る。常世の闇は、もう目に映る世界の何処にも無かった。
引き戻されたのだ、とようやく思い至った。死界の底から、光ある世界へ。
躰に感じている酷い違和感も、得心がいく。新しい躰は、恐らくまだ色々と要領を得ないのだろう。視界の隅に見える自分の髪色も指先の爪の形も、総て見慣れて馴染んだものと、寸分違わぬものだったのだけれど。
−−−そして、同じく視界の端っこに見える金色も。寸分違わず、何より馴染んだ色が目に眩しい。
奔放に跳ねる、光る髪筋。先刻から触れる温度、こちらの躰を胸に抱え込んだまま、投げ出されている腕。
−−−どうしてそういう事になっているのか大変謎だが、ともかく何故だか、隣には蠍座が眠っていた。こちらの躰を、勝手に抱き枕代わりにして。
躰は相変わらず自由がきかず、その上抱き込まれているせいで、更に動きを妨げられる。それでも何とか視線を巡らせてみれば、更に不審なことにミロは汚れた裸足のまま、寝台の上に上がり込んでいた。安らかだが、どことなく憔悴した顔で眠りこけている。
−−−無防備な、その様子に。
髪の金色ひとつ、肌の色ひとつ。そして布越しに感じる温度ひとつ、鼓動ひとつ。
その総てに、酷い懐かしさを突きつけられて、言葉を見失う。
現実に経過した時間は、きっと嵯程のものではないのだろうけれど。
・・・しかし、あの永い夜の中で。
こんな風に、見慣れた−−−過ぎる程に見慣れた無防備さなど、もう決して望めないと当然のように、信じていたのに。あれほどに昏く、あれほどに疑念と怒りに満ちた夜を連れて、黄泉返ってきたのだから。
なのにこの蠍は。天蠍宮で目が醒めて、新たな命と躰を与えられたことに気づいて。躰が動けるようになって、そのままきっと靴も履かず、ふらりと此処まで来たのだろう。あの夜に感じたたであろう失意や憤りなど、きっとこの忘れっぽい蠍座は、頭にも無く。総ては元通りと言わんばかりに、こんな当たり前の顔で眠って。
・・・ともかく躰が動かないので、そのまま眼を閉じて、薄い服地越しに耳を澄ます。
−−−規則正しい、鼓動の音。
何度と無く、いつもこうして耳を欹て聴き入ってきた。夜に昼に躰を寄せた折、何よりも近く親しく、ひとつずつ数をかぞえるように。
ずっとこの音が、様々な刻をきざんできた。過酷だがまだ闘いの遠かった幼い日々も、成長するに従って血まみれになっていく両手を持て余した日々も。
いつでもいつまでも、変わることなく続くと思っていた訳ではないけれど。それでもこんな生命の律動があったから、人としての己を見失わずにいられた。
かけがえが無いからこそ、もし一度失われれば、二度とこの手に戻ることもないと知っていたのだ。
だから、思いもしなかった。
−−−こんな風に失ったものがまた、還ってくるなんて。
・・・暫くそのまままた呆としていたら、やがて寝こけていた蠍がようやく身じろいだ。
うう、と妙な声で唸った末に開いた眼は、寝起きとは言え、すぐに大きく見開かれる。
そこには、やはり懐かしい、蒼天の色。
一瞬見開いた眼は、すぐに猫のように細まり、笑う。
「・・・良かった。いつ眼を醒ますかと、少し気を揉んだ」
言葉を返そうとしたら、やはり咽の動きは要領を得ず、うまく声が出ない。仕方ないので、小宇宙で返す。
<・・・どうして、こんな処で寝ているのだ>
「お前が眼を醒まさないかと待っていたら、疲れた。俺もまだ本調子じゃない」
だがそう言って笑んだ顔は、記憶の中のまま。翳りも疲れも感じさせずに、ただ明るくて。
ミロはこちらがまだ動けないのを良いことに、いきなり顔やら髪やら肩やら胸やら、ぺたぺた確かめるように触りまくり、挙げ句の果てにはばたりと胸の上に突っ伏してしまう。
<・・・重いんだが>
「うるさい。黙ってろ」
言ってくすくすと笑うばかりで、そこから動く気は毛頭ないらしい。やれやれとため息をついて黙っていたら、やがてミロが呟く。
「・・・良かった」
<・・・何が>
「全部」
短く言ったきり、ミロは暫く黙りこむ。そして、間をおいてまた呟いた。
「・・・俺は随分、待った気がする」
何を、と聞き返したら、お前をだよこの唐変木、と返してまた笑う。
「俺はな」
顔を上げて、にんまりと笑む。・・・幼い頃そのままの顔で。
「俺はずっと、お前が俺んとこに還ってくるのを待っていたよ。・・・おかえり、カミュ」
−−−一瞬。
聖域を離れていた6年の記憶が、その笑顔にだぶる。定期報告に戻ってくるたびいつもいつも、必ずおかえりと言って笑んだ、その顔。
・・・待っていたのは、きっとその年月。私が目醒めるまで此処で眠って待った僅かな時間などではなく。
極北の地へ行くのだと、そこで弟子を育てるのだと、まだ14だった歳に告げた私の言葉に、ミロにはミロなりの覚悟や想念があったのだろう。
−−−だが、それでも。
手放した者が、またこの手に還ってくる。
おかえり、ともう一度繰り返したミロの言葉に、私は苦心して声を紡ぐ。
−−−掠れた一言は、それでもなんとか届いたらしい。
太陽のような笑みが、また輝きを増した。
<051010 UP>
生き返り直後。一度はやっとけネタっすね・・・。いつもながら蠍水瓶か水瓶蠍かとか、その辺あんまし考えてません。どっちでもいいです。
それにしても、サイト開設一周年に合わせたモンとしては、どうも微妙な仕上がりでスンマセン・・・。っていっつも必ずスンマセンって謝ってる気がする。これもこれでウザいような・・・(^^;
・・・いつも書きながら思っているのは、家族や幼なじみや同僚や恋人、そういった色んな役割をいっしょくたにしたような、決して代替えのきかないカンケーが書けたらいいなということだったりします。天涯孤独で閉鎖空間に放り込まれた子供同士だからこそ成立したと言えるような、たった一人。
・・・ってのが理想なんですけど・・・、なかなか難しいなあと今更ながら・・・(^^;。
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