87.ハネ







 ミロは、概ね朝に弱い。
 ・・・いや、弱いというのは正確ではない。相応の気合いを入れて起きる気になれば、あれはどんなに夜更かししようが、どんなに早朝だろうが、呆れるほど元気に飛び起きてくる。だが大抵の場合、あれは朝早くに起きようという意思がなく、結果だらだらと惰眠を貪っている。
 その日、2ヶ月ぶりくらいに私は聖域に戻った。時差の関係やら何やら諸事情により、私が十二宮に足を踏み入れたのは、夜明けから間もない早朝だった。まだ朝焼けも鮮やかに残る空の下を、私は石段を踏みしめて昇る。
 どの宮の主も当然眠りの中だったが、さすがに誰かが宮に足を踏み入れれば、皆気付く。眠そうな探りの小宇宙が漂ってくるので、私がその都度、通るぞと声をかけると、どの宮でも皆大抵は納得したような気配で、ある者は無言で、ある者は生返事で通してくれた。
 そんな調子で天蠍宮までやって来ると、最初は他の宮同様、眠たげで茫洋とした小宇宙がふわふわ漂っていた。が、私の気配に触れた途端、それははっきりとした形を取り戻す。
<・・・カミュ!戻ったのか>
「起こして済まない。通らせてもらうぞ」
 目覚めたとは言え、伝わってくるミロの声はまだどことなくぼんやりしていて、いかにも眠そうだ。そんな寝起き状態のところを押し入ることもあるまいと、私は素通りしようとしたが、しかし宮の主は言った。
<嫌だ、寄ってけ。素通りする気か>
「・・・お前、寝ていたのだろうが・・・。また後で来る。教皇に報告を済ませたら」
<教皇宮が開くまでまだ何時間もあるだろう。宝瓶宮で待ちぼうけるなら、ここで待っても同じだ>
 ・・・妙に聞き分けがないのは、寝起きのせいか。むずかる子供かお前は、と内心呆れる。
 押し通る気になれば容易いが、同じ聖宮の守護人として、宮の主が駄目だと言うのを無視して通り抜けるのも気分の良いものではない(たとえそれが単なる駄々であってもだ)。久し振りに顔を見たいというのも手伝って、私はややあってから溜息と共に判ったと答え、ミロの私室に続く通路に足を向けた。
 真っ直ぐ寝室に行き扉を開けると、その音に反応してベッドの上の塊がもそもそと動いた。ミロは僅かに頭を上げて、まだ半分しか開かない目をこすり、来たな、と笑う。只でさえいつもあちこちに飛び跳ねている金髪が、寝乱れてボサボサだ。
 二ヶ月ぶりに見る笑顔が寝ぼけまなこだった事に、私は内心苦笑を漏らした。
「・・・お帰り。随分早い時間に戻ってきたな」
 枕の上から、奔放な金髪越しに自分を見上げて言うミロに、私はベッドの縁に腰を下ろしながら答えた。
「シベリアは夜だ。一日終わったところでこちらに来たから、仕方がない」
「・・・夜?」
 少し驚いたように、毛布の影から覗く青い瞳が僅かに見開いた。
「・・・そうか、時差か。・・・って、ちょっと待てよ」
 瞳が、今度は細くすがめられる。
「と言うことは、お前こそ本来眠ってる時間ってことか?」
「そうなるな。あちらで朝まで眠ってしまったら、今度はこちらが夜になってしまうから」
 そう説明したら、ミロは信じられない、というようにマジマジと私の顔を見る。
「・・・お前、ちっとも眠そうじゃないな」
「一日くらい眠らなくてもどうとでもなる」
 するとミロは、お前はおかしい、と呟いて小さく欠伸を漏らした。表情も相変わらずどことなく茫洋としているミロに、私は思わずまた苦笑を漏らして言った。
「・・・お前は眠そうだな」
「当たり前だ。まだ午前5時前・・・」
 そう言ってまた目をこするミロの仕草が、なんだかシベリアに置いてきた幼い弟子のようで笑ってしまう。
 ミロはまた一つ欠伸を漏らすと、寝っ転がったまま不意に両手で私の腕や背を掴まえて、思わぬ力で引っ張り寄せて引き倒した。ミロ、と非難をこめて名を呼ぶと、ミロは悪びれずに腕の中に私を閉じこめて、笑う。
「・・・久し振りだ。この前帰って来たのは、いつだったかな」
「二ヶ月前。・・・離せ、ミロ」
「嫌だ。少し触らせろ」
 そう言って、ミロは楽しそうに首筋に唇を寄せてくる。思わず少し身体を竦めたが、しかしそれ以上は何もしてこず、ただ抱き枕を抱え込むように私の身体を離さず、胸元に顔をうずめて、うとうとし始める。
「・・・寝るなら離せ、ミロ。私は寝具ではないぞ」
「お前も少し眠っていけばいい・・・先刻も言ったが、教皇宮が開くにはまだ何時間もあるだろ・・・」
 ぶつぶつそんな事を呟いて、ミロは明らかにそのまま寝に入る体勢である。
 何時にも増して収まりの悪い金髪を、私は宥めるように何度か軽く叩く。
「・・・生憎私はそんなに眠くはないんだが」
「うるさい・・・いいから此処にいろ。たまに帰って来たんだから・・・」
 呟く語尾は明らかに明瞭さを失っていて、最後はむにゃむにゃという訳のわからない音声で消える。・・・本当に、幼児かこいつは。
 闘いともなれば、誰よりも傲岸不遜で高飛車なのに、こういう時は余りにも無邪気というか気儘というか。・・・これがミロの欠点でもあり、また魅力でもある。
 そう考えてから、私はまた小さく苦笑を漏らした。
 『魅力』と感じている時点で、我ながらもう始末に負えない気がして。
 私の身体を抱え込んだ腕は、やる気になればひっぺがせるだろう。しかし胸元で聞こえ始めた規則正しい寝息に耳を澄ましていたら、私も俄に眠気を覚えた。眠気は感染するらしい。
 私は諦めて、ミロの枕に頭を預けた。
 頬をくすぐるハネまくった金の髪が、柔らかくて気持ちがいい。それに顔を埋めるようにして、私はしばしの眠りを貪った。









・・・ねむ萌えなのです・・・(^^;)。
16歳前後くらいのイメェジ。
他愛ない眠シチュが好きで・・・スンマセン
『ハネ』って『羽』かなと思いつつ、カタカナをいいことに『跳ね』にしちゃいました…。髪のハネ。


モドル