6.リンゴ







 −−−真っ赤なリンゴが、一つあった。
 教皇のお供で麓の村に行った時のことだ。私はまだ幼く、教皇の供も初めてのことで、村の様子は物珍しかった。辺りを見回していた私に、村人の一人がそっとリンゴを手渡してくれた。今年ウチで穫れた実の中で一番見事に実ったものです。聖宮の守護たるお若い双子座の聖闘士様にどうぞ、と村人は言った。私は嬉しくて受け取ったが、聖宮の守護者へと言うなら、これは私だけのものではない。是非カノンにも食べさせてやろうと思って、私はその実を大事に双児宮まで持ち帰った。私が取り出した深紅の実を見てカノンも喜び、二人できっちり半分に分けて食べた。
 ・・・だが、私は思った。確かに実は寸分違わず二つに割る事が出来る。だが、村人がこれを手渡してくれた時の顔、声、節くれ立った手、そしてそれを受け取った時の喜び、それらは決して半分にならない。持ち帰ることが出来ない。私がどんなに話して聞かせても、カノンはそれを体験出来ない。
 それに気付いた私は、いたたまれなくなって、私の分の最後の一切れをカノンにやろうとした。するとカノンは怪訝な顔をして、いらない、と言った。せっかく村人がくれたのだから、しかもお前に手渡したのだから、お前が食えと。
 −−−私はただ、頷くしか出来なかった。



「・・・おい、サガ。そんな処で眠ったら風邪ひくぞ」
 呼ばれて私は、はたと眼を開いた。
 見れば、カノンが私の顔を覗き込んでいる。
 秋晴れの気持ちのいい陽気で、私は双児宮をぐるりと巡る外回廊でぼんやりしていた。どうやらそのまま、柱にもたれて眠り込んでいたらしい。日はまだ充分高く、大して時間は経っていないようだった。
「・・・なんか少しうなされていたぞ。そんなヘンな場処で寝るから」
 カノンはやや呆れたように言う。私はまだ少しぼんやりした頭で呟いた。
「リンゴの・・・」
「は?」
「リンゴの夢を・・・。・・・いやいい、何でもない」
 言いながらハッキリ目覚めてきた私は、慌てて口を閉ざす。そんな私の様子をカノンは溜息一つで済まし、そのままさっさと何処かへ行ってしまった。
 十二宮の石段を身軽に降りていく弟の後ろ姿を遠く眺めながら、私は一人吐息を漏らす。
 −−−随分、古い夢を見た。もう20年くらい前の出来事であり、私自身忘れていたような思い出だ。
 私は多分あの出来事から、聖域でのカノンの扱いが異常だと、ようやく朧気ながら気付いたのだ。
 誰にも知られてはいけない者。いないものとするべき存在。
 ・・・実際、カノンの事を知っていたのは私と教皇、それにごく一部の神官だけだった。私とカノンは、その神官たちに何度も何度も同じ事を言い含められて育った。
 十二宮を護る、十二人の守護人。・・・だが遙かな昔から、時に十三人目の守人が密かに存在していたのだという。双子座の聖闘士は、その星座の宿命通り双子であることがままあり、『兄』は表の顔として双児宮を護り、『弟』は敵はおろか味方にすら完全に秘された存在であることで、十三人目の隠された守護者として、最後の切り札にもなり得る存在となるのだと。もし『兄』に何かあれば双子座の聖闘士として、そうでなくとも隠密に動き、敵を攪乱する大きな力として、聖域を守護する。
 幼い頃は、私もカノンもさして疑問も抱かずに、言われた通りに過ごした。カノンは決して誰の目にも触れぬよう、双児宮からあまり出ることもなく。私はまるきり一人で生活してるように振る舞い、最も親しい者にすらカノンのことは明かさず。
 だが僅かずつ自分の世界が広がり、経験することが増えていくと、私はカノンと自分の差を感じずにはおられなかった。
 胎内で上にいたか下にいたか、そんな僅かの差。それだけのことで、何故こうも隔たってしまったのか。今でも・・・聖戦を越え死の国から復活し、二人ともに聖域で認知されて生活するようになった今もって、あの頃の私の痛みは、胸に燻っている。



「おおーい、サガー」
 またしてもボンヤリしていた私の耳に、元気の良い声が飛び込んできた。
 はっとしてまた太陽を見上げると、今度こそかなり日は傾いていた。・・・どうやら考え事をしている間に、相当な時間が経過してしまったらしい。
 声のする方を見ると、先程石段を下って行ったカノンと一緒に、ミロが双児宮に向かって昇ってきていた。二人とも、手になにやら駕籠を抱えている。
 双児宮の外回廊に二人は回り込んで、私のもとまでやってくる。
「サガ、まさかずっとここで日向ぼっこしてたのか」
 驚いたように私を見るカノンに曖昧に笑うと、カノンは益々呆れ顔になる。
「・・・爺くさい奴。いっくら今日がたまの休みだからって」
「教皇にも休みがあるのか? 知らなかった」
 ミロが意外そうに私とカノンの顔を見比べている。カノンが、へっと鼻で笑って言った。
「ストレス溜めすぎないようにって、教皇宮の神官どもがくれたらしい。ヤダね脆弱な奴は」
 さすがに私はむっとして、反論する。
「・・・別に休みをくれと頼んだわけではない。いつも遊び呆けているお前に言われる事ではないぞ、カノン」
「ハイハイ、お兄さまは働き者でいらっしゃる、と。そんな兄貴に土産だ」
 そう言うと、カノンは両手に一つずつ抱えていた駕籠の一つを、私の手に押しつける。・・・見れば、駕籠の中には良く熟れたリンゴがいくつも詰まっていて、かすかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
 先程までリンゴの一件を思い返していた私は、吃驚して二人を見る。
 ミロが、少し決まり悪そうに笑って説明した。
「いや実は、最近聖衣も付けずに素面で麓の村をよく通り抜けたりするもんだから、すっかり顔を覚えられてな。しかも俺はこんな名前だろう。今年はリンゴが豊作で余っているから、是非持っていけと言われて」
「・・・で、丁度暇つぶしにぶらぶらしてた俺が通りがかって、俺にもついでにくれたのだ。最初、村の者は俺をサガだと思ったようだったが、弟だと言ったら妙に受けてな。お前の分もくれたぞ」
 そう言って、カノンは笑う。
 私は自分の手の中の駕籠と、カノンの駕籠をただじっと見ていた。急に黙り込んでしまった私に二人ともあまり構わず、ミロはこれから十二宮すべてにリンゴを配り歩くのだと言って、一際大きな駕籠を抱えて早々に立ち去った。
 ・・・後に残った私たちは、それぞれの駕籠をなんとはなしに見やる。私の分と、カノンの分。同じだけのリンゴが、それぞれの手の中に、確かにある。
「・・・こんな大量に、どうするか。ジャムにでもするか、サガ?」
 声をかけられるが、私が相変わらず黙りこんでいると、不意にカノンはにやりと笑った。まるで悪戯小僧のような、幼い頃と変わらない顔で。
「・・・こんなにあったら、もう真っ二つにして分け合う必要はないぞ? 俺には俺の分がちゃんとあるのだ。判っているのだろうな、サガ?」
 その台詞に、私は更に驚いてカノンの顔を凝視した。カノンは相変わらずにやにやしている。
 ・・・私は暫く、カノンの顔と駕籠のリンゴを見比べた。だがやがて、無性に可笑しくなって、少し笑う。
「・・・そうだな・・・その通りだ。既に私には私の、お前にはお前の領分が、確かにあるのだろうよ」
 その言葉に、カノンは満足したように笑む。
「ではサガ。領分があると言うなら、色々五月蠅いことを言うのもそろそろやめてくれないか。早く起きろの掃除をしろのと、鬱陶しくて適わないんだが」
「・・・それとこれとは話が別だ!」
 思わず条件反射的に怒鳴った私に、カノンは声を上げて笑い、さっさと双児宮の中に入ってしまう。
 宮の入り口に入る寸前、カノンはふと立ち止まり、私に言った。
「なあサガ、お前パイは焼けないか? アップルパイが食いたい」
 その子供のような言いように、私は呆れる。
「・・・勝手なことを。自分の分のリンゴだと言ったその舌の根も乾かぬうちに。自分で作ったらどうなのだ」
 私の返答に、カノンは少し肩をすくめてケチだなと言ってまた笑い、今度こそ双児宮の中に姿を消した。
 ・・・その後ろ姿を見送って、私はもう一度手元のリンゴに眼を落とす。
 私の分のリンゴ。そしてカノンの分のリンゴ。それぞれに、それぞれのものが手の中にある。
 こんな他愛もない事を、あの頃の私はずっと望んでいた。私以外の者がカノンを見て、名を呼び、必要とすること。私もカノンの名前を、誰に憚ることなく呼ぶことが出来るということ。
 それらは望んでいたのに手には入らず、私もカノンも結局少しずつ歪んでいってしまったけれど。
 でもこんな風に少しずつ、取り戻せるものもあるのなら、生きていくことも出来る気がする。犯した罪は余りに大きいが、それでも、やり直すことが出来るなら。
 私は手の中の駕籠を抱え直し、自分も双児宮の中へと戻った。・・・アップルパイは、どうやって作るんだったかな、と考えながら。












双子難しいのう・・・。なんかダラけた文でショボン。
ちなみにウチの設定では、聖戦後に黄金はアイオロス、シオン以外は復活し、サガが教皇に、カノンが双子座になっておりまする。


モドル