42.早いね














 カミュは、最近聖域に帰って来ると、寝てばかりいる。
 二人の弟子が育ってきて、鍛錬もかなり本格的になってきているらしい。育ち盛りの子供のこと、色々と気を遣う(気を揉む、とも言う)ことも多いようだ。
 ・・・だがだからと言って、婚家でこきつかわれて実家で命の洗濯をする嫁じゃあるまいし(この比喩は蟹の言だ)、たまに帰って来たかと思えば一日中寝っぱなしとは一体どういうワケなのか。大体において不憫な嫁と決定的に違うのは、放っておくと食事も摂らずに眠りこけている点だ。
 −−−元々、自分のこととなると途端にずぼらな人間だったけれども。しかしこの俺が、何故に食事の世話まで焼かねばならぬのか。小さな子供でもあるまいし。

 ・・・まったく釈然としないまま、ミロは目の前で寝こける友人を不機嫌に睨み下ろした。



「・・・カミュ!!いい加減起きろ!!」
 薄暗い宝瓶宮の寝室に、怒声が響き渡る。窓を覆っていた厚手のカーテンが勢いよく引かれ、陽光が室内にどっと流れ込んだ。
 太陽は、既に中空高い。
 ミロは、怒声にもぴくりとも動かない水瓶座をもう一度睨み付ける。
「散々寝たろうが!起きろっつーの!」
 上掛けの下から唯一覗く紅い髪に向かって、また怒鳴る。するとゴソゴソと動きがあり、やがてくぐもった声が漏れる。
「・・・・・・・・・ねむい」
「阿呆かッ!眼が溶けて無くなるぞ!大体、飲み食いもしないで干涸らびる気かお前は!!」
「・・・・・・・・・うるさい。頭に響く」
「どの口が言うんだ!わざわざ宝瓶宮まで来てメシを用意してやってる人間に対して言う台詞か!食事出来てるから、朝飯、いや昼飯を食え!」
「・・・・・・・・・あとで」
「おーまーえーは〜〜ッ!!」
 上掛けを乱暴にひっぺがすと、カミュはうつぶせで枕に突っ伏していて、顔ひとつ見えない。だがここまでやればさすがに起き上がってくるだろうと、ミロはしばしそのまま待ってみる。
 ・・・・が、やがて聞こえてきたのは、謝罪でも礼でも苦情でもなく、深くて規則正しい寝息だった。
 −−−ぶちっと音をたてて、ミロの神経が何本かまとめて切れる。
 こめかみの辺りをひきつらせ、ミロは唇を片端吊り上げて、笑む。
「・・・成程。お前がそういうつもりなら、仕方がない・・・」
 びしり、と目の前で寝こける友人に人差し指を突きつけた。
「スカーレットニードル四、五発も食らえば、眼も醒めるだろ・・・!」
「わかった悪かった起きるすまない」
 がばり、とようやく躰を起こした水瓶座は、流れる紅を引きずりながら、生欠伸をかみ殺す。さすがにお互い長い付き合い、冗談かそうでないかの判別くらいは、寝ぼけていても出来るらしい。
 やっと友人を叩き起こすことに成功したミロは、やれやれと盛大な溜息を落とした。







「お前さあ・・・」
 嫌味な程に濃く淹れてやったブラックコーヒーを、ミロはベッドの上で座り込んでいるカミュに渡してやる。ありがとう、と溜息混じりに受け取る水瓶座はまだ眠たげで、明るい陽光にしきりと目をすがめている。
 自分はミルクだけ入れたコーヒーを啜りながら、ミロはベッドの縁に腰掛ける。
「お前さ、シベリアでちゃんと寝てんのか。尋常じゃないぞ、その寝方」
「そうか・・・?」
 眉間に皺など寄せて、カミュは考え考え、ゆっくりと言う。
「・・・眠っていない訳では、無い。と思う」
「思う、って何だよ」
「よく判らない。あまり意識していないから」
「・・・・・・お前ね」
 ミロは呆れて半眼になった眼で、らしくもなく呆としている友人をじろりと見やる。
「・・・聞くが、シベリアでのお前の平均睡眠時間ってどれくらいだ」
「3時間くらい、だろうか」
「物音で起きたりは?」
「氷河たちが起き出せば、気配で眼は醒めるが」
「必ずか?」
「当然だ」
「威張るなよ・・・馬鹿かお前」
 はああ、とミロはがっくり脱力する。カミュはそんなミロの様子にムッとした顔だ。
「お前に馬鹿と言われる謂われは無い」
「黙れ。ついでに聞くけど、メシはちゃんと食っているんだろうな?」
「氷河とアイザックにはきちんと食べさせている」
「お、ま、え、の、話だ。どうなんだ」
「それなりに」
 聞くなりもう一度深々と溜息を落とすと、ミロは再びこめかみをひきつらせつつ、カミュの手から空になったカップを奪い取る。
「やっぱり馬鹿じゃないか!師匠ヅラするまえに自分の体調管理くらいちゃんとやれ!!」
「やっていないと言われる筋合いは−−−」
「お前自分も身長伸び盛りの十代って自覚ないだろ!?ちゃんと寝て食え!!」
「だからそれなりに」
「じゃあなんで帰ってくる度に気絶するみたいに眠りこけてんだ!痩せた気もするし!黄金聖闘士が栄養失調やら過労やらでぶっ倒れてみろ、いい笑いモンだぞ!」
 まくし立てるミロに、そんな事を言われる謂われは、とまた言いかけて、不意にカミュは口を噤んだ。
 −−−ミロの青い眼が、じいっと自分を睨んでいる。
 ・・・これは、何か言い足りない時の眼だ。
 言いたい放題の癖にまだ何かあるのかと呆れるが、それでも一応、カミュは黙って次の言葉を待った。
 ミロは手に持った二つのカップをサイドテーブルに押しやると、突然ぼふりとカミュのベッドに突っ伏してしまう。
 唐突な振る舞いに面食らって、カミュは傍らで転がった金髪頭を見下ろした。
「・・・ミロ?」
「・・・・・・・、・・・つまらん」
「は?」
 跳ねる金髪と白いシーツの隙間から、真っ青な眼がじろりと睨み上げてくる。
「つまらないだろ、俺が!たまに帰って来たと思えば、寝てばっかしで!!・・・俺はなあ」
 にょき、とミロの手が伸びてきて、カミュの長い髪を掴まえる。そのまま強引に引き寄せて間近になったカミュの紅い眼に、噛みつくように言い放つ。
「俺は!女神以外の誰にも、ましてやガキどもにお前をくれてやった覚えはないんだぞ!」
 −−−数瞬、カミュは呆気にとられて絶句する。
 ・・・何を言い出すのかと思えば。単に拗ねているだけかと、カミュは可笑しそうに小さく笑う。
「・・・そう言われてもな。『お前のモノ』になった憶えも無い」
「ヤな奴だなホントに!言ってないだろそんな事!少しは思いやりのあるフリくらいしてみろって言ってんだ」
「フリなどしても、気に入らない癖に」
 転がっているミロの額に自分のそれを寄せて、カミュはくすくす笑う。
「子供ら相手に拗ねても仕方ないだろう。それとも同じレベルか?」
「うるさい。ガキどもに文句がある訳じゃない、お前に!文句があるんだ!」
 同じ事だろうとまた笑って、カミュは睨む瞳を封じるように瞼に口づけてくる。顔をしかめながらもそれを黙って受けたミロは、そのまま眼を閉じ、ベッドの上で躰を丸めてしまう。
「・・・ミロ?」
「もういい、お前に言っても無駄だ。寝る」
「起きろと言ったのはお前だろうが。食事は」
「後であっためて食う。ちょうどシエスタの頃合いだし、お前もまだ眠そうだし。一緒に寝る」
 一方的にそう言ったきり、ミロはシーツに頬をうずめて本当に寝に入ってしまう。気まぐれな蠍座の素振りをカミュは呆れて眺めやったが、仕方がないのでその傍らにもう一度ぽすりと横になった。
 ・・・ふと見れば、閉じていると思っていた青い瞳が、薄く開いている。
 間近で、ミロが不意に含むように笑う。
「・・・何だ」
「うん」
 くくっと喉の奥で笑って、ミロは言う。
「・・・チビの頃にはさ、よくこうやって一緒に昼寝したよなって思い出した」
「−−−そうだったな」
 楽しげに、ミロは更に眼を細める。
「こんな風にしてると、あの頃と何にも変わってないのにな。お前は昔っから、とにかく自分のことにはズボラだし」
「概ねの事にズボラなお前に言われたくない」
「そういう言い方も。ガキの頃からずっと同じで」
 くすくすと、可笑しそうに笑う。
「・・・あの頃は、お前が弟子なんかとって聖域から出ていくなんて、俺は思ってもいなかったな。お前も俺もずっと此処に居て、ずっとこんな風に傍に居るものだと」
 ・・・いつか終わるその日までは。何も変わらず、ずっと同じように。
 呟いた自分の言葉にまた笑って、ミロはそれきり眼を閉じる。
 かすかに苦笑して、カミュはミロの奔放な金の髪に額を寄せた。
「・・・でももう、子供ではないから。私も、お前も」
 −−−ひどく明るい昼下がりの中、零れた言葉は、泡のように溶けていく。
 静かに返したカミュのその声に、ミロは黙って笑みを深くする。
 ・・・どこか遠くの空で囀っている鳥の声が、ひどく軽やかに楽しげに、聴こえてきていた。







「・・・で・・・」
 −−−美貌の魚座が、宝瓶宮の寝室の入り口に佇んでいる。
 時刻は、夕刻。辺りはすっかり赤金色の光に染まっている。
「・・・何やってるんだか・・・。シエスタにしては長すぎだ」
 胡乱な表情で呟いたアフロディーテの視線は、開け放されている扉の奥に向けられている。
 −−−寝台の上には、猫の子よろしく身を寄せ合って眠りこける、二人の聖闘士。
 歴代の宮主が溜め込んだ蔵書が、宝瓶宮には山とある。その蔵書を当てこんで、両隣の魚座や山羊座が訪れるのは決して珍しい事では無かったのだが。
 真っ赤な夕日の中、台所には、作ったまま手つかずで放置された料理。開け放された寝室のドア。そしてこの、何とも脱力するような光景。
 経緯は、何となく想像出来た。がそれにしても、この有様はしょーもないだろう、とアフロディーテはこめかみを抑える。若いとは言え黄金聖闘士、それ相応の威厳やら品位やら、そんなハッタリ無しにはいられぬ身分だ。しかもカミュには既に二人も弟子がいる。
 −−−それがこんな、まるで小さな子供のような有り様で。
 額を寄せて眠りこける二人の寝顔を眺めやり、扉にもたれかかりつつ、アフロディーテは苦笑する。
 彼等より数年年嵩の魚座は、よく憶えていた。金の髪の子供と紅い髪の子供、それぞれが聖域に初めてやって来た日。そのクソ生意気な振る舞いや、聖域の中で自分の居場所を確保する為に必死に足掻いていた、彼等の姿。そして性質も能力も全く異なる二人の子供が、やがて何時の間にやらいつでも一緒にいるようになり、笑いあったり怒鳴り合ったりしている様を。
 −−−もう子供ではない、と。ほんの数時間前に呟かれた言葉など、魚座が知ろう筈も無かったけれど。
「・・・タテマエと図体ばかり育った子供だ。何も変わっていないではないか」
 夕日の中、ひとりアフロディーテは呟いて、くすくすと笑う。
 年齢相応であることが許されたことなど、皆、例外なく一度も無かった筈なのに。それでも出逢ったこの場処で、共に育った者の傍でだけでも、こんな子供の顔のままでいられるのなら。
 −−−それは多分、幸せなことなのだろう。
 自分たちの持つ短い時間の中では、尚のこと。
 魚座の呟きが聞こえたのか、こそり、とかすかな音がして、カミュの躰が僅かに動く。
 見ていると、暫くごそごそと身じろきした挙げ句にカミュはようやく瞼を上げて、視線を泳がせている。
 −−−程なくハタ、と入り口に佇む人物と目が合った。
「・・・・・・アフロディーテ・・・?」
「勝手に入って済まないね。本を借りようと思って」
 にやと笑って応じるアフロディーテに、カミュは気まずい顔だ。真っ昼間から正体もなく眠りこけ、その上すぐ傍らには蠍座という状況では、無理もない。
 更に苦笑した魚座の目の前、憮然と黙り込んだ水瓶座の隣で、やはり目覚めたらしいミロが、モソモソと金髪頭をもたげた。
「アフロ・・・?何してんだ、こんなトコで」
 寝ぼけ顔のミロに、アフロディーテは意地悪く笑う。
「言われたくないな。君らこそ随分お早いお目覚めで。いたいけな寝顔はじっくり堪能させて貰ったけれど」
 子供みたいで可愛かったよ、と駄目押しの台詞を吐く魚座に、二人同時にがっくりと脱力する。
 −−−当分の間、年中組にからかわれるネタには事欠かない事だろうと思われた。













<050805 UP>



シエスタのネタは眠萌え人間としてはいつかやらねばなるまい(義務かよ)と思っていたのですが。しかしなんかまたしてもどーでもいーよーな話で・・・(^^;
イメージとしては我が師の方がマメ、ミロの方がズボラとゆー印象なんですが、逆パターンもたまにはいいかな、とゆーことで・・・。










モドル