39.証明










 真っ白い雪の上に、凍った血の飛沫がおびただしく散っている。


 引き裂かれた四肢を投げ出した屍が、氷原に数え切れぬほど横たわっていた。吹きすさぶ吹雪がそれらの体温を瞬く間に奪っていき、流れ出す大量の血液は、深紅の氷となって白い大地を染め上げている。
 数十に及ぼうかというその屍の群れのただ中に、真っ直ぐに立つ人影がある。
 たった一人でこの屍の山を築いたその身は、凍てついたように輝く黄金の聖衣に覆われている。風に翻る紅い髪と純白のマントのコントラストが、その足下の血と雪に酷似し閃く。
 表情の失せた紅い瞳が見下ろす視線の先には、唯一の生き残りが血塗れで雪の上に這いつくばっていた。既に死体と化した他の仲間が生身であるのに対して、この一人だけは白銀の聖衣を身につけている。・・・もっともすでにそれは破壊され、聖衣の残骸が僅かに身を覆っている程度であったが。
 抑揚の薄い声が、地に倒れ伏した者の上に静かに降る。
「・・・この期に及んで命乞いか。仮にも聖域に弓引く者共の頭領を名乗る者が、随分と易いものだな」
「お許しを・・・厳しい修行の末、聖闘士の資格を得られなかった者たちの無念を晴らしたいという、ただその一心でありました・・・。どうか女神のお慈悲を」
 倒れ伏した者は血塗れの腕と額を凍った大地に投げ出しすりつける。・・・だが見下ろす者の深紅の瞳には、何の感情の動きも見られない。
「もう遅い。黄金聖闘士に勅が下り、既に手を下したからには不手際は許されぬ。お前を逃せば、この私の恥辱となろう」
「二度とこのような・・・これより後は女神の為に・・・身命に賭けて・・・!」
「・・・遅いと言った。聖闘士の資格を得られなかった者たちの無念を利用し、権を得ようとしたお前に弁明の余地はない」
 静かに言い放ち、這いつくばった者へ掌をかざす。・・・恐怖に萎縮し疲弊したその者の防御小宇宙は、まるで紙のように薄く感じられる。それを破り心の臓を凍てつかせることなど、造作もない。
 ・・・恐怖に引きつった造反者の顔が、文字通り凍り付く。その躰が雪上にどさりと倒れ込んだ時には、既に血液の一滴まで凍結し死体と化していた。

 風鳴りの他は完全に静寂に落ちた氷原で、殺戮者である水瓶座のカミュは、無感動に死屍累々たる周囲を見回した。

 ・・・屍をどうしようか、と少し考える。

 北の大地は清廉で美しいが、こういう時ばかりは少々不便だ。温かい場処なら、適当に地中に埋めればやがて自然に朽ちるだろうが、この極寒の地では放置すれば、死体も当分の間冷凍保存だ。
 少し面倒だが仕方がない、とカミュは小さく溜息をつくと、俄に掌に小宇宙を溜めた。凝縮した光球と化したそれを、死体の群れ目がけて放つ。
 −−−一瞬の間をおき、無人の氷原に凄まじい爆音が轟きわたる。
 永久氷壁が砕け散り氷の大地がえぐれ、凍り付いていた数十の屍もまた、粉々に吹き飛ぶ。・・・一瞬、凍った深紅の血煙が、煌めきながら勢いよく大気に広がった。だがそれもすぐに他の氷片と混じり合い、儚く消えた。

 −−−やがて舞い上がった白い噴煙は吹きすさぶ風にさらわれ、えぐられた氷の大地だけが残ったその場で、カミュは一人、辺りを眺めやって殺戮の痕跡が完全に消えた事を確認する。
 クレーターのように空いた大穴も、やがては雪に埋もれるだろう。

 ・・・ふ、と何気なく、己の掌を見やる。

 今し方まで殺戮と破壊を生み出したこの手は、汚れ一つ傷一つない。全てを凍り付かせて破壊するから、返り血を浴びることもなく、纏った聖衣や風に煽られなびく純白のマントも同様だ。
 ・・・たとえ多くの命を奪っても、特別強い感情が湧くわけではない。立場上大きな声では言えないが、正義、というモノをさほど信じている訳でも実は無い。しかし誤ったことをしているという気もしないから、罪悪感が生まれるわけでもない。

 −−−ただ、もしあるとすれば、それは奇妙な『違和感』。

 人が人の生死を握るという、その事実。人を殺めても返り血の一つ、血の臭いの一つもつかない己の姿。そういうモノに対する、違和感だ。
 人の命を奪うというなら何にせよ、其れ相応の対価が要るだろうに。其れ相応の穢れが当然この身にまとわりつくだろうに。心が動いていいだろうに。

 何故、この手はこんなにも綺麗なままなのだろう。

 ・・・それが時々、どうしようもなく、憎悪を生む。
 この手を切り落とし、血と泥濘の中に投げ捨ててやりたいと思う程に。







「・・・あれ、珍しいな。今日は任務か」
 屍すら消えた無人の氷原から、カミュはその足で任務完了の報告の為に十二宮へと足を踏み入れた。普段の定期報告の折には、教皇宮に入るまで私服で十二宮を上がってくるのが普通だったから、聖衣を身につけて姿を現したカミュに、天蠍宮の入り口で出迎えたミロは少し意外そうに言う。
「帰って来るには少し時期が早いと思ったけど。まあともかく、お帰り」
 いつものようにそう言うミロに、ただいま、と答えて笑む。・・・聖域に戻ると必ず、どんな時でも、お帰りと言って迎えてくれる。・・・だがその言葉が、今日は妙に耳につく気がする。
 近づいて来たカミュを見やって、ミロは微笑する。
「お前の聖衣着た姿って、そういや結構久し振りに見たかも。綺麗だよな、水瓶座って」
 美しく光る聖衣やマント、それに傷も汚れもないカミュの指先や顔に目をやって、ミロが言う。
 ・・・綺麗、というその言葉が、カミュにはまた耳に引っかかる。だがその漠とした感覚を言葉にするつもりも術もなく、カミュはただ黙っている。

 −−−ふと、ミロが口の端を吊り上げて笑んだ。
「・・・これから勅命受けに行くのかと思ったけど、違うか。・・・任務帰りだよな?」
 その問いに、カミュは少しばかり驚いて蠍座を見た。
 ・・・天蠍宮に来るまでに通ってきた宮の主、牡牛座、蟹座、獅子座あたりは皆、カミュがこれから勅を受けて任務に発つものと決めつけていた。蟹座が皮肉混じりに言うところによれば、「オキレイなナリなんで、仕事帰りとは思わなかった」ということらしい。やはりそう見えるのか、と思っていたから、ミロの言葉は少し意外だ。
「・・・何故そう思う?」
 興味を惹かれて聞き返すと、ミロは笑みを深めてカミュの手をとった。
 −−−そしてその指先を自分の口元にあて、囁くように、言う。
「だって、血の気配がするぞ?・・・手にもまだ、鬼気がまとわりついている」
 そう言って楽しそうに、その手に口づける。
「・・・こういう時のお前は、綺麗だけど俺には血まみれに見える・・・髪や眼のせいなのかもしれないけどな。・・・俺は結構好きだけど」
「・・・血まみれがか?」
 思わず苦笑したカミュに、そうだと答えてまた笑う。口元にあてたままのカミュの指を、ミロは大事そうにもう一度口づけて、笑む。
「・・・どんなに言い繕ったって、俺たちは皆血まみれなのは同じだろう。・・・でもお前は、血に穢れれば穢れるほど綺麗に見えるから不思議だ。お前の眼も髪も、血の気配を吸うみたいに紅が濃くなる気がする」
「・・・それは随分、忌まわしいことだな」
 そう言葉を返しながら、知らず笑みが漏れる。・・・何だか無性に嬉しくて、聖衣に覆われた腕を伸ばしてミロの金の髪に触れ、掌でその頬をとらえて口づけまでして。
 ・・・突然に上機嫌になった上、キスまで見舞ってくる相手を、ミロは呆れて見返した。
「・・・ヘンなヤツ。言った俺が言うのも何だが、喜ぶことか?」
「そうだな。確かに吸血鬼扱いは心外だが」
 くすくす笑いながら適当に答えて、すぐ傍にある金髪に唇を寄せる。

 −−−穢れが在るべき処に確かに在り、それが見えると言ってくれる。
 この者の吐くそんな容赦のない言葉だけが、己を人の領域に繋ぎとめていると思う。・・・穢れすら与えられないほどこの手は異質ではないと、そう思うことも許される気がして。

 冷たいから聖衣着たままくっつくな、と喚くミロに構わずに、その躰を抱きしめてみる。
 ・・・親しんだこの躰の中にも、氷原で己が引き裂いた者たちと同じ紅い血が流れている。

 −−−腕の中の、体温と鼓動。

 それをかけがえがないと、大切だと思う想いの分だけ、罪も穢れも増えていく。
 ・・・けれどそれこそが多分、己にとってたった一つの。




 −−−生きる、ということの、確かな証。










<041201 UP>



ううむ・・・イマイチまとまりきらなかった感がタイヘンするのですが・・・、とりあえず・・・(ーー;

今回のわがしは、わがしにしては、ちょっと感情出しすぎたかとも思わなくもなくもないようなあるような(・・・どっちだ!!)。
でもミロ相手だしこんなもんでもいいか〜、と自分を納得させてそのまま・・・(^^;

ふつーに聖衣着て任務のお仕事を淡々とこなしてるのが書きたかったのと・・・。
ギリギリのとこにいても、相手の何気ない一言で救われたりする関係はいいよなあ、とゆー妄想でした。
わがしは結構、こういう事をぐるぐる考えていそうだと思うです。




モドル