その日、いつものように街まで買い出しに行った二人の弟子達が、夕方戻って来た時。
何故かおまけをくっつけて来た。
寒さに震えつつもあっけらかんと笑う、金色の蠍だ。
「・・・何故、お前がいるのだ」
子供らと一緒に当然のような顔をして家に入ってきたミロに、カミュは大変不審な顔で聞き返した。
2月の東シベリアの寒さは、尋常ではない。−50度を下回ることもザラにある。
滅多に5度以下にすらならないギリシアの冬でも寒い寒いと喚くミロが、こんな時季にやって来るなど、余程凍え死にたいとしか思えない。
家の中に入って多少寒さが弛み、ホッとした面もちのミロは、カミュの怪訝顔に苦笑する。
「開口一番ソレか。ご挨拶だな」
「来るなら来ると事前に知らせろと、何度言わせる。大体において寒がりなのだから、真冬になど来るな」
冷淡に言うカミュは、それでも突然やって来た客人の為に、暖炉に薪を放り込む。
ミロが居るのでは薪も足りなくなるかもしれないな、とカミュが思ったその時に、聡い子供達は薪を割ってきますと言って、ばたばたとまた表に飛び出していく。
それを見送ったミロは、暖炉の前の椅子に勝手に座り込み、火に当たりながら言った。
「気が向いたんで来てみたんだ。そしたら、丁度あいつらが街に出かけるところだったんで、一緒に付いて行った。・・・すごいな」
「何が」
「人間が」
火に反射した金の髪を光らせて、ミロは笑う。
「お前等はともかく、普通の人間がこんな寒い土地で暮らしてるのがすごい。平然と市が立ってたりするんで、ちょっと驚いた」
「今更」
今度はカミュが苦笑して、もうひとつ椅子を引き寄せ、ミロの近くに座る。
「私たちとて、全て自給自足している訳ではない。街が無くては生きられない」
「まあそれはそうだけど」
ミロは、ふと自分の髪を一房つまむと、それを火にかざしてしげしげと眺めている。
「・・・髪まで凍ったぞ。先刻までばりばりだったんだ、やっと溶けてきた」
そう言うと金髪を肩に払って、今度はカミュの長い髪を、手に掬う。
「こんなに長いと、髪先は凍っていそうなものなのに。お前の髪は柔らかいな」
そう言って、指先に赤い筋を絡めて笑う。
そんな友人をやれやれと眺めて、カミュは軽く溜息をついた。
「・・・で。本当に何をしに来たのだ、お前」
「失礼な奴だな。何か用が無くては駄目か、せっかく逢いに来たのに」
指に絡んだ髪に唇を寄せて、くすくすと笑う。
くべた薪が、ぱちぱちとはぜて火の粉を飛ばしている。それに耳を澄ますように、僅かに伏せられた金の睫毛に、炎の赤がかすかに照り返る。
・・・ミロの指には、まだ紅の髪筋が絡まったままだ。
「・・・あのな。今朝、目が覚めたら天気が良かったんだ」
「・・・・・・唐突に何だ」
「まあ聞けよ。天気が良くてな、ギリシャにしては寒かったんだ。それでお前に逢いたくなった」
「・・・・・・文脈が変だが」
「寒いとお前を思い出すんだから、仕方無いだろ。でも2月のシベリアなんて、そうそう訪ねる気にもならないし訪ねたってどうせお前は何しに来たんだって言うだろうし。・・・で、何となく暦を見た」
「・・・・・・本当に変なんだが、文脈が」
「黙って聞け。それで日付を見たら、何かあった筈なのに今日が何の日だったか思い出せないんだ。ずっとそれを考えながら朝飯食って、鍛錬に行ってアイオリアと馬鹿話して、その間中ずっと何の日だったかなって事と、お前に逢いたいなって事ばかり考えてた」
「・・・・・・鍛錬は真面目にやれ」
「まあそれで、ずっと同じ事考えながら昼飯食って、ワインなんか飲んでたら、これが結構美味くて色も綺麗な赤で、お前の髪みたいだなとまた思った。それでもう一度暦を見て、やっと思い出したんだ。・・・で、これ幸いと逢いに来た」
「・・・・・・全然話が繋がっていないのだが」
「黙ってろって。それで此処まで来てみたら、チビどもが市に行くって言う。丁度いいから付いてった。それで、ほら」
ミロは自分の襟元に手を突っ込んで、服の中から飲みかけのワインの瓶を一本、それに小さな紙包みをずるずると引っ張り出す。
「凍ったら味が落ちるだろ。お前と飲みたくて、つまみになりそうなモンも買ってきた」
そう言って、嬉しそうに笑う。
−−−突然やって来て、一方的に脈略の無い話をして。こっちの都合や心持ちなど、少しも考えていないような素振りで。
カミュは、小さく苦笑する。
「・・・何の日か、なんてお前、本当はどうでも良い癖に」
「まあな。でも、逢いに来る口実にはなる」
悪びれずにそう言って、ミロはまた笑う。ワイングラスなど無いこの小さな家で、テーブルの上にあった二つのコップに鮮やかな赤い液体を注ぐ。
「−−−誕生日おめでとう、カミュ」
そう言って青空の瞳が楽しそうに細まるのを、眺めやってまた苦笑する。
渡されたコップの中味に口をつけると、華やかで軽やかな味が広がる。まるで、あのギリシャの日差しそのもののような、明るい味。
・・・どんな土地でも、生きていくだけなら、出来るだろうけれど。
しかしこんな風に、何かの光、誰かの心がなければ。やがて凍えて、死んでしまうかもしれない。
例えばこんな一方的で、人の事など大して気にもとめずに入り込んでくるような。
そんな光が無性に温かいのは、この寒さのせいだろうかと、思う。
「・・・そういえば」
ふと、思い出してカミュは小さく笑う。
「そういえばお前、去年も同じような事を言って。毎年口実にしては、押し掛けて」
「そうだっけ?」
空とぼけて笑うミロの語尾に、ばたんと勢いよくドアの開く音が重なる。
薪の束を抱えて入ってきた二人の子供が、師とその友人が暢気に酒盛りを始めているのを目撃して、途端にブーイングの嵐だ。
「ずるい!勝手に先におめでとうって言っちゃったんでしょう、ミロ!」
「抜けがけ無しって約束したのに!」
「馬鹿正直に信じる方が悪い。こんな時くらい俺に譲れ、ガキども」
そう言って軽い笑い声をあげるミロに、子供らは非難囂々である。
「ああもう!約束破ったんだから、夕飯作るの手伝ってよミロ!」
「・・・客に炊事させる気かお前等」
「今日のお客扱いは先生なの!先生は座ってて、ミロが作ってくれるって言うから」
そう言って子供らは、強引にミロをキッチンに引きずって行く。
・・・気づけば、毎年繰り返されている喧噪。それをテーブルに頬杖をついて眺めやり、カミュは一人小さく笑う。
−−−去年、今年。そして来年。
どうか同じ日を、同じように迎えられるように。
きっとそれこそが、何よりの祝福。
いつか果てる道であるのが判っていても。それでもこんな瞬間が、何よりもかけがえがないと感じる。
・・・少しでも多く、少しでも長く。この日が繰り返し、迎えられるように。
HAPPY BIRTHDAY CAMUS.<050207 UP>